日本文明1「日本人とクリエイティビティ」

日本人はモノづくりの技術において、ほかのアジア各国に比べると極めてレベルが高いといえるであろう。ヨーロッパから鉄砲がつたえられたとき、その数年後に、すぐに日本製のものが製造されたことがしられているが、その背景には伝統的な鉄の鍛造技術の発達があったからである。国産の鉄砲づくりは、インドや中国がなしえなかったことだである。


しかし一方、日本人は、潜在的に備わっている高度な技術をほかのことに転用して実生活に役立たせる能力に著しく欠けていた。高度な遊び、「お稽古ごと」で終わってしまってケースが多いのだ。


たとえば、日本製の青銅器は実用性というより祭器的性格が強い。和製の剣や鉾は大型でうすく、武器として使用は不可能である。銅鐸はならべてかざるのが目的だったようだ。一方、中国周辺諸国ではまだ鉄を利用した大規模な工事や戦争の必要がなく、むしろ象徴的・呪術的な道具のほうが珍重された。

また、ヨーロッパでメンデルの法則が確立するのは19世紀なかばだったが、日本では江戸の庶民が、それよりかなり以前から、その知識を知っていた。江戸時代、庶民のなかでアサガオの栽培が流行しており、誰しも交配をかさねて、珍奇な花を咲かせようと必死になっていたようだ。しかし、早くからそのような育種学の法則を知っていたにも関わらず、それを実用して食糧を増産することまでは考えなかったようだ。ひたすら奇怪なアサガオを咲かせることのみに、子どもから大人まで熱中していた。同様に、高度な数式を庶民がときながら、それを応用して土木技術に発展させることをせず、ただ解答の出た数式を額にして神社の絵馬堂に奉納してたのしんでいた。

 

いずれの分野にあたっても、それを趣味にとりいれて、芸術の世界だヨーロッパの人から見れば、花づくりや数式を解くだけという、なんの役にもたたない行為は、王侯貴族の芸術の世界のもので、そういう役に立たないことを日本では長屋の住人までが嬉々として楽しんでいることに驚いた。

 

これは、日本が、大陸から少し離れた、四方を海で囲まれた島国であったという地理的な原因が大きいだろう。日本はアジア諸国やヨーロッパの諸国に比べて、外からの侵入を警戒することなく平和に生活することができたため、役に立たない遊びの能力は発達したものの、敵と生存競争するために必要な実用能力を育む力が育たなかったためだ。この日本人のメンタリティは、現在も受け継がれている。(参考文献:日本文明77の鍵 梅棹忠夫)