アングラと原風景(壱岐紀仁インタビューより)

 僕は最近、三上寛さんっていうミュージシャンを追っていて、何度ライブに行っても、歌う風景が全く揺がないんです。自分を表現に突き動かしているだろう原風景に、生命が漲っているように感じます


 表面的な興味でやっていない。バリの芸術家と通じますね。本当に自分というものだけで勝負している、稀有な方だと思います。僕は今の寛さん、すごい好きで、ランダに近い、人の怒りを涙に導くようなかんじがあると思います。寛さんの歌う原風景に、幼い頃の自分の風景が深く共鳴している・・・そういうのを感じれて、寛さんに関われました。


 あと既に高名なジャズ演奏者で菊池成孔さんがいらっしゃるのですけど、あの人のすごいなと思うところは、外からの悪意を非常に楽しんでいるように見えるところです。悪意を麻薬のように扱いながら音楽や言論を展開して、非常にしたたかというか、だから嫌いな人もいるだろうけど、僕はあの人のこと凄いなと思って。


 あの人もさんざん悪いことをしてきたといってますから、今現在あの人が必要とされている社会の状況を見ると、やはり悪というのは悪を救えるんじゃないかなと思ったりします。表現とか以前の表現性のところで、悪を通過できるかが問題というか。日本でこれから必要とされる本物の表現者って、たぶんそういう人かもしれません。悪と心中できる人が必要なのかなと。


 で、寛さんをきっかけに、ミュージシャンを撮るようになって、同じ年齢ぐらいで、円人図というバンドなんですが、アメリカ帰りなんですよ。優秀な音大を出ている人たちで、演奏技術は非常に優れているのですけれど、全然気取ってなくて、技術より、まずグルーブを感じれるかを大切にしている。自分の心と、空気と、風景で音楽をやってる。


 そういう人たちはやっぱりいい音出しているなあと。聞いているうちに客が踊っているというか、で今度彼らの写真を撮りましょうってことになって、近い感性を持っている人たちと少しずつかかわるようになってきたから、なんか一個、いい動きになってくる感じがあります。

 

 アメリカのアングラフォークのアイコンになっているディヴェンドラ・ヴァンハートという方がいて、その人が60~70年代に生まれたアシッド・フォークを積極的に世の中に紹介して、それが一つのムーブメントになって、アメリカやイギリスでフリー・フォークっていうジャンルが生まれています。

 

 アシッド・フォークやフリー・フォークがまた、聴いていると自分の中の死に対する感覚をまざまざと目覚めさせられて、段々と死にたくなるような音楽ばっかりなんです。でも、そういう本質的な音楽ってお金になりにくいですよ。それを若い人たちが必要としていて、ブームになっているというのは、世の中がそれだけ追い詰められているのだろうと思う一方で、可能性も感じます。


 フリー・フォークをやっている人たちの中には、コミュニティを作って共同生活をして、音楽をひっそり作って・・・で、それが売れているって状況が一方であって。昔だったらありえなかったシステムが、非常に追い詰められているから時代だからこそ必要とされているのを見ると、何か作りたい人は今が頑張る時期ではないかなあと。でも結局、自己が折れたら表現も終わりです。


 今は折れやすくなっている人が多くなってきているかもしれない。寛さんにしても、多分、長い長い不遇の時期を経てきた方なんですけれども、今でも歌い続けているじゃないですか。心の風景が生きている。今だとやっぱり、僕の同級生でも風景を忘れかけている人が多いですね。そういう意味で言うと、業が薄くなってきているのかな。地元に対する嫌悪と愛情が