ゴミをゴミとして扱うアーティスト「Phoebe Washburn」

 Phoebe Washburn は、ゴミとして捨てられた段ボール紙やベニヤ板、古新聞紙などを、自力で回収して溜め込んだものを原材料にして、圧倒的な容積と重量をそなえた巨大な「彫刻」にまで鍛え上げ、一流美術館やギャラリーのど真ん中に、日頃は路上でみかけるゴミ以上にゴミっぽいゴミの大山脈を現出させる驚愕のリサイクルアーティスト。 


 大量消費と過剰生産の現代にあっては、かつての金属や木にかえて、ゴミを作品の素材にする現代彫刻家は珍しくない。たとえば、Nancy Rubinsだ。墜落事故のように叩きつぶした飛行機の巨大な部品を、日用雑貨やお誕生ケーキ、フトン、廃車パーツなどとコキまぜて作ったゴミのかたまりのような残骸のような彫刻で知られるその作品は、日常的風景のなかでのトラウマ的な異物感おいて、ゴミ系インスタレーション作家のなかでも群を抜いたギラギラした輝きを放つ。

 
 しかし、素材はゴミのかたまりでも、極めてすぐれた造形力で組み立てられ,爆発的な構築美をそなえている点で、Rubinsの作品はまず何より第一級の成功した美術品であろう。 ところが、Phoebe Washburnの作品は、ゴミを素材としているだけでなく、完成した作品そのものが、どこからどうみてもゴミなのだ。ゴミ業者まかせで後はしらないフリですませていた大量のゴミを、思いがけない場所で目の前につきつけられる衝撃。ゴミを最底辺とする美的基準のハシゴを最上段までのぼった地点から見下ろす芸術的感興を求めて訪れた美術館で、カベから天井まで覆い尽くすようにうずたかくつみあげられ、頭上に倒れかかってくるようなゴミそのものの段ボールや古新聞の大津波の中に投げ出されるショックに、作品の強烈なインパクトの源が賭けられているのである。 


 ゴミらしいゴミ、くたびれて役立たずなゴミを毎日の日課としてこつこつ集めること自体に楽しさを感じるというPhoebe Washburnの作品は、この意味でも、アートではなくゴミなのだ。しかも皮肉なことに、アウトサイダーアーチストの作った建物や庭園がアート商品市場に流通しないという意味でアートはないのと同じ文脈のなかで、Phoebe Washburnはまぎれもないアーチストであり、アーチストが売れ残りのペンキで着色したゴミたちは立派なアートなのである。

 

 ゴミをみせて、ゴミだと言わせないアートの魔法そのものを狙い撃ちするPhoebe Washburnのゴミ集めは、出発点からつねに作品成立の根拠を失う危ういバランスのうえに成り立っている。 (出典元:世界のサブカルチャー)