「コドモノクニ」2

 様々な分野の一流の表現者たちが存分に腕をふることができたのには時代の大きな変化もある。大正デモクラシーの自由を謳歌し、中産階級が台頭。衣食住の西洋化が進み、ハイカラな文化が流行した。東京には地下鉄が開通し、人々はデパートで買い物をするようになる。近代的な教育制度の導入で幼児への教育熱も高まった。都市文化が誕生したのだ。


「コドモノクニ」には変貌する日本の姿が表れている。乗り物や機械の絵をよく手がけた安井小弥太の「雪ヲツンデキタ 汽車」(33年)は、東京・上野駅の絵だ。ホームに滑りこんできたのは信州からの雪を乗せた列車。その奥にはもうもうと煙を上げるSL機関車や豆粒のような人影が描かれ、すでに大ターミナルだったことがわかる。


 交通網の発達と移動手段の増加は人々の行動範囲を押し広げた。幼い読者たちはこうした絵を見て、どこか遠くへ運んでくれる乗り物に思いをはせたのだろうか。左手には陸橋の上からのぞきこむ少年がいる。


 乗り物の絵をもう1つ。村山知義が文章と絵をかいた「出航」(35年)はこれから港を離れる船が画面をはみだして大きく描かれている。少年少女の衣服や船の窓の力強く太い線は村山のトレードマーク。影絵のような人物表現、鮮やかな色使いはハッとさせられる。


「コドモノクニ」が創刊されたころは、欧州で学んだ画家たちや出版物によって最先端の西洋美術が紹介され、芸術家らに刺激を与えた時代でもあった。村山は22年に前衛芸術が隆盛していたベルリンへ渡り、未来派、ダダイズム、構成主義などの潮流に触れ、翌年に帰国。美術、演劇、ダンス、建築など幅広く活躍し、日本の前衛芸術運動をリードした異能として近年再評価されている。


 もともと子ども向けの絵を描いていた村山は西欧で絵本にも触れており、帰国後は自身が吸収した美術表現を消化してモダンな童画を次々に発表。武井武雄ら「コドモノクニ」の従来の画家陣にも影響を及ぼした。とりわけ、童話作家の妻の籌子と組んだ作品は、台所の鍋を擬人化したものなど、不思議なユーモアをたたえている。プロレタリア演劇に傾倒し、治安維持法違反で逮捕された後も、「コドモノクニ」ではしばらく童画を描いていた。(日本経済新聞)