アート・アニメーションの起源

 アニメーションは、元々「漫画映画」として発達する系譜をたどったが、ダダイズムの流れを組んで芸術表現の一形式として注目するクリエイターが誕生し始めた


 1920年代のドイツで誕生した、抽象的な図形を音楽に合わせて動かし、その動きそのものの美を表現しようとしたものである。これが「抽象アニメーション」である。抽象アニメーションのパイオニアとなったのは、ドイツのH・リヒター(Hans Richter)であるが、ドイツの抽象アニメーション作家の中でも最もポピュラーな存在が、O・フィッシンガー(Oskar Fischinger)である。


 フィッシンガーは元々音楽家志望であったが、第一次大戦の混乱の中でオルガン製作、建築、製図工などさまざまな仕事に従事しながらも、全体としては技術者の道を歩んだ。その後、やはり前衛映像作家であったW・ルットマン(Walter Ruttmann)とともに仕事をはじめたことをきかっけとしてアニメーションの世界に入り、1929年、「スタディNo.1」を発表した。ブラームスなどのクラシック音楽をBGMとして図形が画面いっぱいに、そして自在に動き回り、その動きそのものを「視覚音楽」として見せようという作品で、後の多くの映像作家に影響を与えた。

 また、スコットランド生まれでカナダで活躍したN・マクラレン(Norman McLaren)は同時代の美術界の巨匠達たち、ソ連の作家、特にドイツ表現主義に影響を受け、またイギリスのL・ライ(Len Lye)の抽象アニメーションにも興味をもって、カナダ移住後、シネカリグラフ、ダイレクトペイント、ピクシレーション等をはじめとするさまざまな手法を駆使して、実験的なアニメーションを多数制作し、「実験アニメーション」のパイオニアとなった。「隣人 NJeighbour」「線と色の即興詩 Blinkity Blank」等が代表作である。

 

 マクラレンの人生に起きた出来事は、その作品と探求に分かち難く結びついている。彼はカナダ国立映画制作庁(NFB)の経済的援助を受けて、「民主国家の中の宮廷芸術家」という類を見ないポジションとなった。マクラレンはハイカルチャーの送り手であり、彼の作品が決して大衆のためには作られなかったこと、その反対に時代から隔絶した頑固で隠者のような人物から生み出されたことを考えると、この特権はなおさらユニークである。(参考文献:アニメーション学入門 津堅信之)