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【美術解説】構成主義(ロシア構成主義)

ロシア構成主義 / Constructivism

社会的に有用な芸術を目指したロシアアヴァンギャルド


エル・リシツキー「Beat the Whites with the Red Wedge」(1920年)
エル・リシツキー「Beat the Whites with the Red Wedge」(1920年)

概要


構成主義(日本ではロシア構成主義と呼ばれることが多い)は、1913年にロシアでウラジミール・タトリンによって創設された芸術運動。シュープレマティスムを中心とする自律的な純粋芸術を否定し、実生活に役立つ芸術、また社会的目的のための芸術を創造しようとした。ロシア・アヴァンギャルドを二分しているのがシュープレマティスムと構成主義である。ともに第一次世界大戦が始まる頃に台頭したが、多くの点でライバル関係、対立関係にあった。

 

構成主義は20世紀の近代美術運動に大きな影響を与え、特にドイツのバウハウスやオランダのデ・ステイルのような大きな潮流を巻き起こした。また、絵画だけでなく、建築、グラフィックデザイン、工業デザイン、演劇、ダンス、ファッション、音楽などあらゆるジャンルに影響を与えた。

 
構成主義の代表はウラジミール・タトリンとエル・リシツキー「構成主義は数学と芸術、芸術作品と科学技術的発明との境界が消えつつあることを明らかにしている」と表明している。

 

構成主義は第一次世界大戦後に現れたロシア未来主義の発展系であり、特に1915年に展示されたウラジミール・タトリンの作品「カウンター・レリーフ」が構成主義作品の起源とされており、“構成主義”という言葉自体は彫刻家のアントワーヌ・ペヴスナーとナウム・ガボによって作られた。

 

“構成芸術”という言葉は1917年にアレクサンドル・ロトチェンコの作品を言い表わす際に、カシミール・マレーヴィチがつかった言葉で、当初は嘲りの意味あいがあった。しかし、1920年のナウム・ガボの「リアリズム宣言」で「構成主義」という言葉でポジティブな意味合いで使われるようになる。アレクセイ・ガンは1922年に出版した最初の著作で『構成主義』というタイトルを利用した。


社会にとって有用かつ必要な芸術を提唱し、そのために工業生産による鉄やガラスのような素材を積極的に使用し、シュープレマティスムの要素を踏襲しながらテクノロジーと芸術のコレボレーションを実現した構成主義は、ロシア革命後の理想社会の建設を目指す当時の革命政府の路線によく適った。

1920年代に入ると、抽象芸術を西欧のブルジョワ社会の堕落的現象のひとつと指弾して、健康な「社会主義リアリズム」を志向するソヴィエト政府の方向の転換もあり、当初のロシア構成主義はヨーロッパ構成主義へと発展的解消と遂げた。

ウラジミール・タトリン「カウンター・レリーフ」(1915年)
ウラジミール・タトリン「カウンター・レリーフ」(1915年)
アレクサンドル・ロドチェンコ「Books (The Advertisement Poster for the Lengiz Publishing House) 」(1924)
アレクサンドル・ロドチェンコ「Books (The Advertisement Poster for the Lengiz Publishing House) 」(1924)

 

●参考文献

Constructivism (art) - Wikipedia

すぐわかる20世紀の美術 千足伸行


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