日比野克彦と「アート」

「なんと呼んでいいのかわからない」。審査員も困惑させたオブジェワークは、やがて時代と共鳴して、“HIBINOの時代”を引き起こした。


 1982年、日比野克彦が、PARCOの第3回日本グラフィック展大賞を授賞。当時、彼は東京芸術大学大学院生。受賞作は、ダンボールを切り貼りした荒削りな支持体にアクリル絵具でペイントした、これまで誰も見たこともない作品だった。この鮮度の高い表現は、広告・雑誌などでも注目を集め、一躍、街中を埋め尽くす。

 

 当時のイラストレーションの概念は、あくまでも平面で、原画を印刷して制作するもの。日比野のダンボールの作品はかさばるから印刷機にもかけられない。「これは原画にならない」「なんと呼んでいいかわからない」と、当初は評価不能の扱いで、大賞を授賞した日本グラフィック展でも、日比野の作品は最終選考の途中までは洩れていた。しかし、最終選考で決定打がなかったため、山口はるみが「ほかに気になるものなかったけ?」と倉庫に行って、日比野の作品を引っ張ってきたそうだ。


 日比野の“名づけようもない”作品は、その時代の若者たちから圧倒的な支持を受け、時代感覚を象徴する存在になっていく。それは、企業が“文化戦略”に力を注いだ、80年代という時代背景とも関連していく。当時最先端だった渋谷の街にはウォールペインティングが描かれ、ミュージアムのなかにあった「美術」が外へ飛び出してきたような印象があった。そうした時代に、日比野の、奔放なクリエイティビティを発散する作品が歓迎されたのだ。

 

 80年代中盤に向けて、彼の活動は、時代に求められるままに、飛躍的に領域を広げた。舞台美術、プロダクトのパッケージ、家具、コスチュームデザイン、レースマシンへのペインティング。さらに、インスタレーション、ウィンドウディスプレイ。パブリックスペースでのアートワークも多く、博覧会のパビリオンや店舗などの空間デザインも手がけた。

 

 「僕が描く原画は同じでも、組む人によって完成形が変わる。演出家と組めば舞台美術になるし、ファッションデザイナーと組めばテキスタイルデザインになる。それが印刷媒体だと、イラストレーションになる。そんなふうに考えていた」。

 現在、日比野は、日本列島を舞台にいくつものプロジェクトを展開している。「大地の芸術祭」(新潟)「天草大陶磁器展」(天草)、そして2013年からアーティスティックディレクター制度を導入する「六本木アートナイト」(東京)にて、日比野克彦氏が抜擢された。 六本木の街を舞台に夜を徹して開催されるこの恒例の「アート」の祭典は、これからも人々が感動を共有する素晴らしい機会を提供することは間違いない! 今後、日本のアートは、六本木の街から発信していくことになる。