清里現代美術館館長 伊藤修吾インタビュー4

-菅木志雄さんの小品がいたるところに展示してありますね。


伊藤:美術関係者の方がお見えになって、本館に訪れた方が菅さんの小さい作品を見て驚嘆される。菅さんにはドローイングとかデッサンが外に出ていません。だから小さい作品が菅さんの原点なんです。それを知っている人は意外と少ない。


-庭も菅さんの作品ですね。


伊藤:そうです。庭の作品は菅さんの作品の中でも大きな代表的な作品だと思っています。石と鉄板でできています。作られてから6年になりますが、自然の中に見事に同化しています。良く見ますと、石が五列に並べられていますが、真ん中の列だけ四個しか石がない。他は五個ある。Vの字になった鉄板のオブジェが端にありますが、その中に石が一個入っている。その石はぐるっと庭を一周しないと見えないようにできている。例えば竜安寺の石庭は廊下を平行移動することで庭石の変化が見られます。菅さんの作品は周囲をめぐることで初めて作品の全貌が見えるようになっている。おそらく菅さんはそこまで意識にいれて作品をつくっているんでしょう。歴史とか、そういった庭のあり方まで踏まえて作品をつくっている。それも軽々とやりますね、それが菅さんの凄いところだと思います。身近な素材を使ってやっているけれど、水平・垂直・高さや幅など、人間の美に対する感覚を気持ちよく刺激してくれます。それが見ることの基本なんでしょうね。


-ただ作品を展示しているだけではない。そこには展示する側の作家に対する深い理解がある。


伊藤:ドナルド・ジャッドの作品にしてもそうです。作品は基本的には上から見ても下から見ても同じように見えるようにつくられている。ほとんどの彫刻というのは前から見るようにつくられている。ところが、ジャッドの凄さは上からも見るようにつくられていることです。上から見られる位置に飾らなければいけない。でもそれを知って飾っている美術館は少ないと思います。そう言ったことを考えてここでは展示している。だから見ると言うことを刺激されるんですよ。


-清里現代美術館ができたのは1990年ですね。清里という地は最初から構想に含まれていたのですが。


伊藤:最初は違っていました。でも結果的にはここでよかったと思います。ここに美術館を建てるということが決まったとき、弟は自然の中で自然と共存できる「二泊三日の美術館」にしようと考えていました。


-プライベートながら、清里現代美術館は現代美術を常設する美術館としてすでに七年間にわたって人々に作品を公開している。見る楽しさもあるでしょうが、作家のメッセージの深さや豊かさを見る・読むためには時間とエネルギーが必要になってきます。とでも一日では作品を読みきれない。その意味でも「二泊三日の美術館」という考え方はとても興味深く、また、清里現代美術館のあり方を見事に言い表していますね。


伊藤:ここには豊かな自然がある。温泉もある。この美術館には作品はもちろんですが、それに関連した資料や書籍、ポスター、レコード、CD、ビデオなども豊富に揃っている。ボイスをはじめとした作家たちの作品は、ただ一回性の作品ではなく、見るたびに新しいものの考え方や社会の見方を教えてくれる豊かさを持っています。ただ観光客として美術館と見るのではなく、ゆっくりと、豊かな時間と空間の中で作品に接してもらいたいということなんですよ、好きなように作品を見たり、音楽を聴いたり、窓から外の自然を見たりしながら過ごしてもらえればいいと思うんですよ。