飛ばない飛行機 稲垣足穂

稲垣足穂はあらゆる点において、いわば「ミニマルの美学」を実践してきたひとである。抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好と不毛なエロティシズム、天体とオブジェ、これが稲垣足穂の文学的モティーフのあらましであるが、こうした精神の傾向を日本の文学史で見出すことは絶望的に困難である。稲垣足穂は決して日本の伝統に結びつこうとしなかった


足穂の小説は私小説の体験偏重主義を思わせないでもないが、それは見かけにすぎない。また一見、或る種の足穂の小説は童話の荒唐無稽を思わせないでもあるが、これも見かけにすぎない。特殊なものを普遍的なものに転化する詩とモラリズムが、単なる体験あるいは単なる夢想を鍛え上げ、鈍化しているからだ。これが私の言う抽象志向である。

 

足穂は現代において、禁欲主義者というエピテートに最もふさわしいひとだろう。たとえば、足穂の場合飛行願望についてだ。一般的に飛行願望は願望充足のメカニズムに似て、そもそもエロティックなものを土台にしていること。しかし足穂の場合、理想とするのは「飛ばない飛行機」である。欠如態としてのエロティシズムこそ足穂なのである。

 

「大衆サーヴィスに汚染されると、あらゆる芸術は一種のカビごときものになってしまう。何事にも気乗りがしなくなって、よんどころなく創作と取組み、ひょっとして何らかの成果が上がったら幸いというものである。芸術とはもともとそんな仕事なのだ。それは仏教でいう「逆流」であって、世間法とはあべこべに行こうとするものである。世捨人とは体制に対する犯行者であり、捨てるということに彼の全エネルギーを傾けている者をいう。(タルホ=コスモロジー 稲垣足穂」)」


少なくとも日本の文学風土には、稲垣足穂をのぞいて、こうした傾向ないし嗜好をもった作家がまったく見当たらないということである。若いころから全く変わらない稲垣足穂の天体嗜好も、このメカニズム愛好の一環だろう。「星の王子さま」という安っぽい童話があるが、足穂はそんなものではない。星の運行を自由に狂わすこともできる、星の王様である。(洞窟の偶像 澁澤龍彦)