読書メモ:「人形作家」四谷シモン

▼ベルメール

「新婦人」という雑誌には僕の人生を変える一枚の写真が載っていました。ハンス・ベルメールの人形の写真です。全体は人間の下半身が2つ胴体でつながったようなぐにゃぐにゃとした形で、その股ぐらから少女の顔が突き出しているのです。


 瞬間、「何、これが人形?」ということが僕の体を火花のように貫きました。その写真を紹介した記事のなかに「女の標識としての肉体の痙攣」という意味の言葉がありましたが、僕は文字どおりその写真に痙攣したのです。エロティシズムに驚いたのではなく、「関節があって動くこと」、だからポーズがいらないということがいちばん大きかったのです。

 

▼アングラ演劇
 唐十郎と寺山修司はのふたりは、アングラ劇団を率いるものとして同じようにくくられることが多いようですが、芝居の方向性、作り方はまったく違っています。


 唐十郎は、子役出身の役者です。きちっと台本がある本格的な芝居を作るようになっていきます。自ら台本を書くという文学性のある世界に入っていくにつれ、芝居そのものが凝縮する方向に進んだのです。いろいろなものが一見脈絡なく絡み合った芝居で物語は複雑ですが、意外に情感的で、ドラマそのものを重視しています。ただ、そのドラマが要求するリアリティが劇場という「枠」に収まり切らないことからテント芝居にこだわっているのだと思います。

 

 唐の芝居は難解で、正直いって一度見ただけでは理解できません何回かみているうちに、「あ、これがさっきのあれとつながっているのか、なるほど」と把握するという感じです。観客もそういうふうに楽しんでいるのだと思います。唐はサルトルや実存主義に強く影響を受けているし、劇団員も思想や文学をかなり勉強していた、いわゆる屁理屈集団でした。

 

 寺山さんは、まず既存の劇場そのものに対する反発が強かったのではないでしょうか。だから街頭で移動しながら芝居をし、観客もそれについてまわるような見せ方をして、芝居そのものを壊すという拡散的な方向に向かいました。

 

▼自己愛
 20数年間人形を作ることを教えていて、すべての生徒にいえることがひとつあります。全員の作品にその人の「自分」が出ているのです。それを見ていると、人という生き物はこんなにも自分自身から逃れられない自己愛の強い存在なのだなと感じます。


 人形は具体的なものですから、表現に個が出やすいということはあります。料理や花の生け方などにもその人の個性はでますが、いかんせん人形はヒトガタですから、明快に個性が露出するのです。人形には作者本人に似るなにかがどうしても出てしまうものなのです。

 

 そんなことを考えているうちに、逃れ切れない自己愛、ナルシズムが誰にでもあるならば、あえてそれをテーマにして意図的に作品化しようと思いました。人形というのは自分自身であり、分離しているようでしていないという作為的、幻想的な考え方をするようになったのです。


 こうして生まれた「ナルシズム」「ピグマリオ二スム・ナルシシズム」などの作品は、絵画や写真のセルフポートレートとは少し違っていますが、おそらく「これも僕です」といえるものではないかなと思っています。

 

「人形は人形である」というところから出発しましたが、人形は自分で自分は人形という、自己愛と人形愛の重ね合わせが現段階での僕の考え方です。