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【美術解説】岡上淑子「伝説の女性コラージュニスト」

岡上淑子 / Toshiko Okanoue

海外で最も評価の高い日本のコラージュニスト


岡上淑子《落下する淑子》(1956年)
岡上淑子《落下する淑子》(1956年)

概要


生年月日 1928年生まれ
国籍 日本(高知)
ムーブメント シュルレアリスム、戦後近代美術

岡上淑子(1928年生まれ。高知出身のシュルレアリスム系コラージュ作家。現在(2021年)93歳、高知在住。

 

学生時代に瀧口修造に見出され、コラージュアーティストとしてデビューして、おもに1950年代に美術活動を行う。60年代以後は、姿を見せなくなるが、2000年頃から再評価されはじめる。

 

初の大規模な回顧展「岡上淑子コラージュ展--はるかなる旅」が2018年、高知県立美術館で催される。 また、東京都庭園美術館で2019年3月から4月にわたり、個展「フォトコラージュ—岡上淑子 沈黙の奇蹟」を開催。

 

海外でも注目高まり、2021年にメトロポリタン美術館の「国境を越えるシュルレアリスム」展に古賀春江、岡本太郎と並んで日本のシュルレアリスム作家として参加、紹介される。

 

現在、岡上淑子の作品は、国内外でコレクションされており、国内では高知県立美術館、東京国立近代美術館、東京都写真美術館、栃木県立美術館の国公立美術館に、海外では米国のヒューストン美術館、ニューヨーク近代美術館、そしてギャラリーや個人コレクションとして所蔵されている。

岡上淑子《孵化》(1955年)
岡上淑子《孵化》(1955年)
岡上淑子《予感》(1954年)
岡上淑子《予感》(1954年)

略歴


幼少期


岡上淑子は、1928年1月、高知県高知市一宮で、農林省に努める厳格な父親と専業主婦のおとなしく優しい母親とのあいだに生まれた。

 

未熟児として生まれたので、父親の実家である高知で3歳まで過ごし、その後、上京して代々木上原で過ごす。弟が1人いるが、生まれてすぐ亡くなった。

 

小学校に入る前に下北沢へ引っ越す。多趣味の父親の影響で、映画、カメラ、スポーツなど小さなころからさまざまな文化に触れて育つようになる。小学校のときに小さなカメラを買ってもらい、撮影し始めたのが写真の始まり

 

美術との出会いは、小学4年か5年のときに、岡上をモデルにした作品を出品した図画の先生の展覧会を見るために上野にいった事だという。

 

小学校卒業後、クリスチャン系の東洋英和女学院に入学。女学校時代はそのまま本格的な空襲が始まった戦争時代と重なり、4年のときに勤労動員のため蒲田へ移動。ハンダ付けやニクロム線を巻いたり、製図を手伝うなど、電気製品を作る工場で働くことになる。

 

作業中に警戒警報が出たら防空壕に入るという、学生生活だった。4年のときに保母になる資格をとるために内部進学受験するが失敗し、学校を卒業する。

 

卒業した20年に、渋谷や蒲田などの下町への大空襲が始まり、岡上は7月へ高知へ疎開することになる。8月に終戦となり、9月に東京へ戻る。

文化学院時代とコラージュ


戦後、恵泉学園の家事科に入学。家事科へ進んだのは勉強したくなかったため。そこで武満浅香(旧姓・若山浅香)と同じクラスになる。この友人は、芸術家集団「実験工房」のメンバーだった作曲家の武満徹の妻であり、岡上を武満徹から瀧口修造へと橋渡しする人物である。

 

2年恵泉に通い、卒業後、今度は洋裁を学ぶつもりで小川服装学院へ入学。しかし、突然院長の小川が亡くなり、学院も閉じてしまったため、1950年、文化学院のデザイン科へ通うことになる。

 

この頃岡上はデザイナーを志望しており、それまでの洋裁の技術も合わせてファッションのデザインを勉強するためデザイン科へ進んだという。そして、この文化学院時にコラージュの制作を始める

 

カラーコーディネートの授業で、雑誌をちぎって貼り絵をする課題をきっかけに、コラージュに創作に目覚め、雑誌から顔や手足など一部分を切り抜いて合成する作品を作り始める。

 

初期の作品は、背景である黒い羅紗紙の上にイメージを貼り合わせたシンプルなもので、『LIFE』『VOGUE』『ハーパース・バザー』『Seventeen』といった、当時のグラフ雑誌やファッション雑誌をコラージュ素材として利用していた。素材として海外のファッション誌が使われがちなのは、当時の日本は戦後直後で国内の物資が不足しており、海外の雑誌が多く流入していたためだという。

 

彼女のモノクロ写真のコラージュは、場所、物、人のイメージを混ぜ合わせたもので、しばしばファッショナブルなヨーロッパの女性が登場し、戦争、女性らしさ、男女の関係をテーマにした、ダイナミックでしばしば不穏な構成になっている。

 

1951年、学校で作ったコラージュ作品を友人の武満浅香に見せたところ、「実験工房」の武満徹を紹介される。続いて、武満からシュルレアリスム作家で批評家の瀧口修造を紹介される。

 

ほかの人の感想はみんな「面白いですね」だけだったが、瀧口だけは「続けてごらんなさい」と話したのが印象的で運命的な事だと思ったので、学院を卒業してもコラージュ制作を続けるようになった。

エルンストの発見と偶然性の驚異


1952年、卒業時に作成したファッション画が好評を得て、伊勢丹の洋裁部門に紹介されるが、結局落選する。しかし前年に瀧口に「続けてごらんなさい」と激励されたことによって、岡上はさらにコラージュ創作を続けるようになる。

 

卒業後、作品が出来あがると瀧口の家行って作品を見せる通うようになるが、そこで、瀧口の部屋で見せられたマックス・エルンストの画集に強いショックを受ける。特に『百頭女』がお気に入りだったようである。

 

そうして、岡上は少しずつ美術関係の本を読むようになるが、瀧口からは特に美術の話をされることはなかったという。(話しても分からないと思われていた)

 

1953年に初個展を開催。場所は瀧口が若手作家たちを紹介していたタケミヤ画廊(1月4日〜10日)。作品もさることならがら瀧口の紹介文

 

「明けましておめでとうございます。岡上さんは画家ではありません。若いお嬢さんです。」

 

が印象的である。岡上は絵を志していたわけでもなく、本当に「普通の女の子」であり、紹介文に何の抵抗もなかったようである。

 

個展で出品された作品は、「月夜」(1951年)、「轍」(1951年)、「魔法の時代」(1951年)、「海のレダ」(1952年)など。ちなみに岡上のお気に入り作品は「海のレダ」だという。

 

また、1953年から54年にかけて国立近代美術館で開催された記念碑的展覧会、「抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか」展に岡上の作品が出品されている。

「海のレダ」(1951年)水上スキーの写真に羽の写真を貼り付け、次に羽に合う白鳥の写真素材を探して貼り付けたという。羽の素材と白鳥の素材がピッタリ一致したときの"偶然性"に岡上は満足。これがシュルレアリスムである。
「海のレダ」(1951年)水上スキーの写真に羽の写真を貼り付け、次に羽に合う白鳥の写真素材を探して貼り付けたという。羽の素材と白鳥の素材がピッタリ一致したときの"偶然性"に岡上は満足。これがシュルレアリスムである。

その後


1956 年にタケミヤ画廊で第2回個展を開催。2回目の個展では、コラージュだけでなく写真作品も展示された。この頃岡上はコラージュの反復行為に飽きて、限界を感じ始めており、借り物ではなく全部自分のもので作りたいと思っていたという。

 

そうして、瀧口の勧めもあって写真へ表現手段を移しはじめた頃の移行期の個展となった。なお、写真作品はネガも全部捨ててしまい、ほとんど残っていない。

 

しかし、その後、母親の体調が悪くなったため岡上の家事労働が忙しくなり美術活動が滞るようになる。また、翌年の1957年に写真も結局やめて、結婚することになり(夫は画家の藤野一友、のち離婚。)、また子どももできたため創作活動から遠のくようになる。

 

また、東京で父親が亡くなり、離婚し、1967年に岡上と母と息子と三人で父親の実家の高知へ移住することになり、そこで日本画など少し勉強しはじめるが、それもあまりうまくいかないため完全に創作活動から離れる。

 

実際の活動はわずか6年。制作点数は 約100点ほど。その後、岡上は美術の世界からその名は忘れられることになった。

 

岡上が再発見されたのは1996年。この年に開催された展覧会「1953年ライトアップ 新しい戦後美術像が見えてきた」で岡上淑子作品が出品。再発見したのは写真史家の金子隆一である。そして2000年、44年ぶりに個展「夢のしずく」を大阪のThe Third Gallery Ayaで開催した。

 

初の大規模な回顧展「岡上淑子コラージュ展--はるかなる旅」が2018年、高知県立美術館で催される。 東京都庭園美術館は2019年3月から4月にわたり、個展「フォトコラージュ—岡上淑子 沈黙の奇蹟」を開いた。

 

海外でも注目高まり、2021年にメトロポリタン美術館の「国境を越えるシュルレアリスム」展に古賀春江、岡本太郎と並んで日本のシュルレアリスム作家として参加、紹介される。

岡上淑子《よびごえ》(1954年)
岡上淑子《よびごえ》(1954年)

略年譜


■1928年

・1月3日 高知県高知市一宮に、岡上健夫と千鶴子の長女として生まれる。

・2〜3歳の頃、東京都渋谷区上原に転居。

 

■1941年

・東洋英和女学院(現・東洋英和女学院中学部)に入学。

 

■1946年

・恵泉女学園高等部家事科(現・恵泉女学園高等学校)に入学。

 

■1948年

・小川服装学院に入学。

 

■1950年

・文化学院にデザイン科に入学。この頃からフォト・コラージュの制作を始める。

 

■1953年

・1月、瀧口修造の勧めで、東京・神田のタケミヤ画廊で「岡上淑子コラージュ展」を開催。

・12月、「抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか」展に出品。

 

■1956年

・タケミヤ画廊で2度目の個展「岡上淑子コラージュ展」開催。

 

■1957年

・画家・藤野一友と結婚。作品制作から遠ざかる。

 

■1959年

・長男容士生まれる。

 

■1969年

・離婚。高知市に転居。

 

■1996年

・「1953年ライトアップ-新しい戦後美術像が見えてきた」展(目黒区美術館)に出品。

 

■2000年

・44年ぶりの個展「岡上淑子 フォト・コラージュ-夢のしずく-」開催(第一生命ギャラリー)。

 

■2001年

・「奔る女たち 女性画家の戦前・戦後1930-1950年代」展(栃木県立美術館)に出品。

 

■2002年

・6月 個展「夢のしずく」(The Third Gallery Aya,大阪)で開催。

・8月〜11月 個展「Okanoue Toshiko:Collages」(ヒューストン美術館)開催、

・作品集「Drop of Dream:Toshiko Okanoue:work1950-1956(Nazraeli Press)刊行。

 

■2003年

・「The History of Japanese Photography」(ヒューストン美術館)に出品。

 

■2004年

・12月「コレクション展 平成16年度 新収蔵作品を中心に」(高知県立美術館)に出品。

 

■2005年

・2月「滝口修造 夢の漂流物」展(世田谷美術館)に出品。

・7月「瀧口修造とタケミヤ画廊/佐谷画廊企画」展(お茶の水画廊)に出品。

 

■2006年

・3月「現代の版画-写真の活用とイメージの変容」展(東京国立近代美術館)に出品。

・11月「コラージュとフォトモンタージュ展」(東京都写真美術館)に出品。

 

■2008年

・1月 個展「変容」(The Third Gallery Aya)開催。

・3月「シュルレアリスムと写真-痙攣する美」展(東京都写真美術館)に出品。

・11月「Paris Photo(Carrousel Du Louvre,フランス)に出品。

 

■2009年

・1月「コラージュ-切断と再構成による創造」展(東京都国立近代美術館)に出品。

 

■2010年

・3月 個展「TOSHIKO OKANOUE:DROP OF DREAMS」(Charles A.Hartman Fine Art,アメリカ・ポートランド)開催。

・5月「Pictures by Women / A History of Modern Photography」(ニューヨーク近代美術館)に出品。

・10月 個展「夜間訪問」(Librarie6)開催。

 

■2011年

・4月「女性シュルレアリスト」展(Librarie6)に出品。

・5月「シュルレアリスムとコラージュ」展(高知県立美術館)に出品。

 

■2014年

・「はるかな旅」北浜ギャラリーマルアール:高松

・「はるかな旅」六次元:東京

 

■2015年

・「はるかな旅」Librairie 6:東京

・「はるかな旅」The Third Gallery Aya:大阪

 

■2018年

・「岡上淑子コラージュ展ーはるかな旅」高知県立美術館:高知

 

■2019年

・「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」東京都庭園美術館:東京

・「岡上淑子コラージュ はるかな旅」Books f3:新潟

・「岡上淑子」恵文社一乗寺:京都

 

■2021年

・「呼び声」The Third Gallery Aya:大阪

・「新たなる季節」伊勢丹サローネ:東京

・「国境を越えるシュルレアリスム」展 メトロポリタン美術館


■参考文献

・PHPスペシャル12月増刊号「mille」

日本美術オーラルヒストリー

東京都庭園美術館、2021年12月13日アクセス

https://thethirdgalleryaya.com/artists/okanoue_toshiko/、2021年12月13日アクセス