大衆芸術とハプニング

印象派以前までは、人の一生のうちに芸術のスタイルが変化することはほとんどなかった。1つの芸術スタイル、1つの流派といったものは、原則として、幾世代も続いたのである。

しかし、今日、芸術における移り変わりのペースは、めまいがするほど早い。19世紀の終わりに注目された印象派は、その後続いたものすごい変化の先端をきったにすぎなかった。

印象主義の時代を1875~1910年とすると、それが優勢だったのは35年くらいということになるが、それ以来、未来派からフォービズム、キュビズムからシュルレアリスムとどの流派どのスタイルもそれほど長続きしたものはない。スタイルは次々と変わっていく。20世紀で最も長続きした流派は、抽象表現主義であるが、これも1940~1960年のせいぜい20年間である。5年のポップアート、2、3年しか続かなかったオプアートなどもある。

ロバート・ヒューズは「新人画家をはなばなしく歓迎するのは、いまや年中行事になった。」という。一年に一度、“期待の新人登場!”など芸術の新しい潮流を常に探している熱意は、いささかキチガイじみているくらいであるという。すなわち現代人は、物事を新しくすることに対して陶酔的なまたヒステリーに近い信仰をもっているというのである。

今日の芸術界の狂乱的な移り変わりは、エリート主義と永続性(永遠の永遠の永遠)が、死に絶えてしまったということもある。従来は、文学ならびに芸術を判定する場合、作品の永続性、特異性、それに長続きのする普遍的価値といったものに高い価値を置く傾向があり、このような美的基準は、比較的少数のエリートが趣味の方向を決めているような世界だった。

しかしながら、今日では、天文学的な数の芸術作品が大量生産され、出回り、鑑賞されている場合には、みな使い捨て芸術になる。特異な価値とか固有の真実などはもっていないという。また同時に、今日の芸術家も小さいエリート集団のために仕事をすることを嫌い大衆にアピールすること、また永続性が徳であるというような考えはもっておらず、むしろ短期的効果を目指している。そのため、一時的な印象、陳腐化の速度などのようにピッタリした人間の象徴的イメージを作品に盛り込んでいくことが必要になるという。

 

大衆が必要としているものは「他との芸術交換が可能で、使い捨てにしてもよいもろもろの芸術作品」なのだ、というのが社会学者ジョン・マクヘイルの結論なのである。

今日の芸術における一時性を求める衝動が理解できれば、“ハプニング”芸術の背景も理解できるはずである。ハプニングの創始者とされるアレン・カプローは、現代の使い捨て文明とハプニング芸術には関係があるとはっきりいっている。カプローによると、ハプニングは、前にも後にも一回だけ行われるのが理想的だという。つまりハプニングとは芸術のチリ紙版を意図していたというのである。(『未来の衝撃』アルビン・トフラー)