近藤聡乃「電車かもしれない」

電車かもしれない


近藤聡乃は芸術一家に生まれた。彼女の父と兄は建築家であり、母は大学でデザインを学んでいた。


近藤は子どものころ、特にテレビには興味をしめさなかったが、代わりに両親に絵本を読み聞かされたり美術館に連れて行かれた。


大衆漫画にもあまり興味がなかったものの、中学生のときに前衛的な漫画雑誌『ガロ』に出会い影響を受ける。彼女のデビュー当時の作品の雰囲気は林静一の影響によるところが大きい。

ほかに画家の佐伯俊男に影響を受けており、初期の全体的のドロドログニョグニョした妖しいタッチの雰囲気は佐伯俊男の絵とよく似ている。崩れた三日月のような怪しげな目付きの能面顔の少女は、70年代のガロ系マンガのじめっとした感じを漂わせている。


だが、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学し、本格的に絵の勉強をし始めたころから、これまでの妖しげな雰囲気を残しつつも、少しサッパリした爽やかなタッチに変化していく。

 

近藤聡乃といえばバンド「たま」とのコラボーレション作品が有名でだが、「たま」との出会いは多摩美術大学時代にまでさかのぼる。多摩美術大学グラフィックデザイン科に入学し、アニメーションを専攻することになるが、そのときの教授は現在のタマグラアニメの基礎を構築した片山雅博だった。


片山は、しばしばアニメーション作家の野村辰寿(現在のタマグラアニメ博主催者)をゲストで招待していたが、その野村はバンド「たま」のファンで、また彼らとアニメーション関係の仕事をしていた。 こうしたつながりから近藤は知久寿焼から「電車かもしれない」の使用許可を得ることができたという。


2002年に代表作アニメーション「電車かもしれない」を発表。この「電車かもしれない」の成功で一気に世間にその名が知られ、また作風のイメージが定着するようになる。「電車かもしれない」は「たま」の昭和歌謡風の曲『電車かもしれない』にアニメーションを付け加えたもの。


おかっぱ頭の少女「英子」が、昭和の町並みやレトロなインテリアが並ぶ風景をバックに、縄跳びをして遊んだり、ふわふわ浮いてグルグル回転したり、何人にも分裂してダンスするアニメーションである。
 
曲とアニメーションの一体感が完璧で、その完成度の高さは曲の使用許可を与えた知久寿焼自身が、「ヘタするとこっちがイメージを引きずられちゃうんじゃないか(笑)」とコメントしているほどだ。

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近藤聡乃

近藤聡乃(千葉県生まれ。1980年-)は、日本のマンガ家、アニメーション作家、美術作家。2008年よりニューヨーク在住。思春期少女のポートレイト作品が中心で、多摩美術大学在学中に制作したアニメーション作品「電車かもしれない」が最もよく知られている。


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