アート・アニメーション

記録が残っているもので「アート・アニメーション」という言葉が日本で使われた最も古いケースは、1986年に撮影された「インサイド・オブ・ジャンピング」というアニメーションのメーキング映像で、手塚治虫が「ある程度アート・アニメーション的な感じを持たせるために……」という発言がある。しかしこれは現在の「アート・アニメーション」という言葉のコンテクストとは別のものと考えてよいだろう。

 

現在、使われている「アート・アニメーション」という言葉は、1990年代なかばに開催された2つのイベントが発祥とされる。

 

1つは映像作家集団キノ・サーカスの上映会。1995年1月21、22日に、両国のシアターXでキノ・サーカス主催の大10回の上映会が「アート・アニメーション」というテーマだった。この上映会では個人制作のアニメーション、つまりインディペンデント・アニメーションを商業用アニメと差別化するために「アート・アニメーション」と名付けたようである。現在のインディペンデント・アニメーションに対するアート観は、ここを原点としたものと思ってよい。

 

もう1つはヤン・シュヴァンクマイエルの特集上映。1996年8月10日、ユーロスペースで劇場公開された「ヤン・シュワンクマイエル 妄想の限りなき増殖」から「アート・アニメーション」という言葉が、ヤン・シュヴァンクマイエルを紹介するときのキャッチコピーとして使われるようになった。しかし、シュヴァンクマイエル自身は「アート・アニメーション」という言葉は全く使っていない。シュヴァンクマイエル自身は正式なシュルレアリストであり、そうした経緯から自分のアニメーションに関しては「シュルレアリスム・アニメーション」といっている。

 

Wikipedia-Jan Švankmajer 

Jan Švankmajer (Czech: [ˈjan ˈʃvaŋkmajɛr]; born 4 September 1934) is a Czech filmmaker and artist whose work spans several media. He is a self-labeled surrealist known for his surreal animations and features, which have greatly influenced other artists such as Terry Gilliam, the Brothers Quay, and many others.

 

これ以前のシュヴァンクマイエルの特集上映やチラシやパンフレットにも「アート・アニメーション」という言葉も存在していない。2000年代にわたり、日本ではシュヴァンクマイエルに関する特集上映や展示会などのイベント、DVDの発売が定期的にあった。その宣伝用のキャッチコピーとして「アート・アニメーション」という言葉が頻繁に使われるようになり、少しずつ世間に浸透していった。さらに、ヤン・シュヴァンクマイエル以外でも、作家性の強い海外のアニメーション作家を紹介する際に、積極的に「アート・アニメーション」という言葉がキャッチコピーとして使われるようになった

 

また、2001年にユーロスペースで公開された「チェブラーシカ」が大ヒットし、カルチャー誌で次々に紹介されていったが、アートとは全く関係のないチェブラーシカまでアートアニメーションといわれるようになった。これは「チェブラーシカ」グッズが、当時、カルチャー誌やヴィレッジヴァンガードなどで、チェコの絵本やシュヴァンクマイエルと一緒に展示・紹介される機会が多かったのが原因で、そうした経緯からアート・アニメーションの枠組みに入れられていった。(参考文献:今日のアニメーション文化叢書 01 寺川賢士)

実験映像としてのアニメーション

アニメーションは、元々「漫画映画」として発達する系譜をたどったが、ダダイズムの流れを組んで芸術表現の一形式として注目するクリエイターが誕生し始めた。

 

1920年代のドイツで誕生した抽象的な図形を音楽に合わせて動かし、その動きそのものの美を表現しようとしたものである。これが「抽象アニメーション」である。抽象アニメーションのパイオニアとなったのは、ドイツのH・リヒター(Hans Richter)であるが、ドイツの抽象アニメーション作家の中でも最もポピュラーな存在が、O・フィッシンガー(Oskar Fischinger)である。

 

フィッシンガーは元々音楽家志望であったが、第一次大戦の混乱の中でオルガン製作、建築、製図工などさまざまな仕事に従事しながらも、全体としては技術者の道を歩んだ。その後、やはり前衛映像作家であったW・ルットマン(Walter Ruttmann)とともに仕事をはじめたことをきかっけとしてアニメーションの世界に入り、1929年、「スタディNo.1」を発表した。ブラームスなどのクラシック音楽をBGMとして図形が画面いっぱいに、そして自在に動き回り、その動きそのものを「視覚音楽」として見せようという作品で、後の多くの映像作家に影響を与えた。

また、スコットランド生まれでカナダで活躍したN・マクラレン(Norman McLaren)は、同時代の美術界の巨匠達たち、ソ連の作家、特にドイツ表現主義に影響を受け、またイギリスのL・ライ(Len Lye)の抽象アニメーションにも興味をもって、カナダ移住後、シネカリグラフ、ダイレクトペイント、ピクシレーション等をはじめとするさまざまな手法を駆使して、実験的なアニメーションを多数制作し、「実験アニメーション」のパイオニアとなった。「隣人 NJeighbour」「線と色の即興詩 Blinkity Blank」等が代表作である。

 

マクラレンの人生に起きた出来事は、その作品と探求に分かち難く結びついている。彼はカナダ国立映画制作庁(NFB)の経済的援助を受けて、「民主国家の中の宮廷芸術家」という類を見ないポジションとなった。マクラレンはハイカルチャーの送り手であり、彼の作品が決して大衆のためには作られなかったこと、その反対に時代から隔絶した頑固で隠者のような人物から生み出されたことを考えると、この特権はなおさらユニークである。

旧共産圏と実験アニメーション

でなぜチェコやロシアのアニメーションだけが特にアート・アニメーションおよび実験アニメーションの巨匠が大量に輩出されることになり、アメリカでは実験アニメーションはファインアートに組み込まれることはなかったのだろうか。

 

まず、チェコやロシアをはじめとする東欧地域は、旧共産圏であったこと。この要因は極めて大きい。1つは、旧共産圏の場合、アニメーション作家も「公務員」であるため、資本主義社会のような商業性を無視したアニメーションを制作できたという環境が、必然的に作家性の強いアニメーションを生み出すことになった。そして、商業性を気にする必要性がないため、われわれが普段よく見ている低コスト・大量生産のための商業用のセルアニメーション以外の制作が盛んであった。

 

また当時は冷戦で、アメリカとソ連の文化的闘争もあった点は否めない。アメリカのファインアートは、前衛芸術の時代を終えてアメリカ独自のコンセプチャルアートに流れていったこと。一方ソ連は、前衛芸術からロシア・アヴァンギャルドという流れをもっており、そうした文脈で実験的なアニメーションが栄えたという要因がある。なお、アメリカ文化はソ連だけでなく文化的にはヨーロッパとも対立している。この化的対立は、アニメーションよりもむしろ映画のほうが際立っている。ハリウッドの映画とヴェネツィアやカンヌの映画を比較すればわかるであろう。

 

ほかに、チェコのように人形劇の伝統がある国家では、人形アニメーションが盛んに、またロシアでは切り絵アニメーションが発達して、資本主義国家の商業用セルアニメーションとは異なる芸術的な作品が多数生み出されたといえる。

 

チェコでは1940年代から人形アニメーションを発表たH・ティールロヴァー(Hermina Tyrlova)や、人形アニメーション最大の巨匠というべきJ・トルンカ(Jiri Trnka)らが巨匠であり、現在ではJ・シュヴァンクマイエル(Jan Svankmajer)代表的な作家である。

資本主義国と実験アニメーション

資本主義国の中で、最もアート系アニメーションの制作と作家の育成に対して独自色を出している国はカナダである。そしてその象徴となっている組織が、NFBである。

 

NFB(National Film Board Canada:カナダ国立映画制作庁)は、1939年設立。カナダ国内だけではなく、アメリカ、チェコ、オランダ等世界各国からアニメーション作家を集め、映画制作庁としての事業である教育用作品を制作しながらも、作家それぞれの個性に委ねたアート性の高い作品を送り出してきた事が大きな特徴である。

 

そして、このNFBを主な活動の場としたのが、実験アニメーションの大家N・マクラレンだった。ただし、NFBの活動が最も華々しかったという印象があるのは、アメリカ、オランダ、チェコ、そしてインド等から個性的な作家を招いていた1970年代で、近年ではアニメーション制作体制そのものも縮小傾向にあるようである。

 

またイギリスフランスはも、それぞれ独自のアート系アニメーションの歴史を持っている。フランスでは、象徴的かつ風刺的な内容を多く含み、絵柄や技法も多彩で、アート・アニメーションと呼ぶにふさわしい個性的な長編アニメーションが現在でも制作されている。イギリスでは「ウォレスとグルミット」シリーズで一躍有名になったN・パーク(Nick Park)、フランスでは「ベルヴィル・ランデブー Les triplettes de belleville」のS・ショメ(Sylvain Chomet)が代表的な作家である。

 

イギリスとフランスに共通しているのは、いずれも何らかの形で国家が個人のアニメーション作家を資金的に助成するというシステムを有している点である。こうした事情をみるにつけ、資本主義諸国において、商業性を排除した形で制作されるアート・アニメーションとその作家が育つためには、国家の助成が不可欠であると思われがちである。

 

確かにそうした面は否定できないが、際立った個性が求められるアート・アニメーションの世界であれば、個人の資質にくわえて、個人作家として活動していくための処世術を鍛え上げる場面が不可欠である。そうすると、資金的な助成よりも、教育システムの充実と、その成果としての作品発表の機会を新人作家に多く提供することの2点が、より重要なのではないだろうか。(参考文献:アニメーション学入門 津堅信之)