ポール・ラフォレ「コンテポラリー・ヴィジョナリー・アート」

ポール・ラフォレ / Paul Laffoley

コンテンポラリー・ヴィジョナリー・アート


概要


ポール・ラフォレ(Paul Laffoley)は、1940年アメリカマサチューセッツ生まれ。現代ヴィジョナリー・アートの代表的画家。独自のタイムマシン理論「Levogyro」を武器に、悪魔の陰謀ダイヤグラムを思わせる奇怪な図解アートや、オブジェを発表する。ニューエイジオカルト界やUFO界、アウトサイダーアート界を揺るがす精力的な活動で知られる現代ヴィジョナリストだ。

略歴


生後6ケ月めに初めて叫んだ言葉が「コンスタンチノーブル!」。それ以後は4年間、無言のままだったという。

 

ポール・ラフォレの父は、信託銀行の総裁を務め、ハーバード・ビジネススクールでは法律家として税務の講義で教壇に立つなど社会的信用には申し分のない人物だった。ポールは子どものころ、父に手を引かれて統計専門家の起業家ロジャー・バブソンが1948年に設立した重力研究財団が主催した反重力装置や永久機関の展示会によく出かけたという。

 

ラフォレ家の庭師が、あるときからUFOに関心を持ち出し、「自分は息子と一緒に宇宙人の空飛ぶ円盤に乗ったことがある」と言い始め、アダムスキーそのほかのUFO本をポールに勧める。その様子を見て激怒した父は、庭師をクレイジー呼ばわりし、出入りを禁止にしてしまう。この出来事は、ポールのUFO趣味を着火するようになり、後年、ポールのアートにUFOが頻繁に登場する原因となった。

 

ブラウン大学に入学し、ポールは古典学、美術史、哲学の学位をとると同時に、緊張症を患って電気ショック治療を受けること8回。その余録で、いまでいう覚醒夢や体外離脱の能力を身につけたようである。ハーバート大学大学院建築科に進学したが、提出作品のアイデアが実現不可能にもほどがあり、学校を馬鹿にしているという理由で放校処分。

 

ニューヨークに出て彫刻家で建築家Frederick Kieslerに弟子入りしたが、つや出し磨きを命じられた彫刻を壊してしまい、ここからも叩き出されて、帰郷する前に、建築家ミノルヤマサキの事務所に製図技師として入社し、遥か後の9.11に消滅することになるWTC(世界貿易センタービル)の設計チームの一員となるが、ここでもまた自己主張が強すぎて入れられず解雇に。

 

寝場所を提供してもらうことを報酬としてアンディ・ウォーホールに雇われ、夜中の2時から明け方6時まで番組放送終了後の時間帯のテレビ画面を見つづけて、その間に何が見えたかを毎日報告する仕事を数ヶ月間続けた。ポールのアートの骨組みとして決定的に重要なマンダライメージは、この時のウォーホルによる拷問的なテレビ神秘体験によって網膜に焼き付けられたものだという。 

 

1968年には最初のスタジオパートナーと喧嘩別れして1日だけの時間的猶予の間に、新スタジオをボストンの下町に間借り。以後の活動の要となる自分中心の芸術家親睦団体Boston Visionary Cellの事務所が置かれ、ポール・ラフォレの本格的なアーチスト活動はここを拠点に展開された。そして数十年ののちには、このスタジオからも追い出されることになる。

 

ポール・ラフォレのタイムマシン理論というのは、UFOの青写真を熟視して、その原理や仕組みについての妄想をするだけでも、実際のタイムマシンに搭乗するのと等しい効果を得られるというものらしいが、彼の職歴をザッと見ると、アッチへ行っては向こうへ行けと言われ、向こうへ行ってはアッチへ行けと言われ続けた人生行路そのものが、行き先を見失ったUFOに重ね合わされているように思える。



作品