デュシャンとエロティシズム

デュシャンの芸術の主題である「コンセプチャル・アート」とは、つまり美術作品を眼で眺める対象ではなくしたこと、目玉の視覚による刺激だけが美術ではなく、脳の刺激も芸術になるということだった。便器をまじまじ眺めたって仕方ない。頭で考える。これがデュシャンの本質であった。

 

しかし、デュシャンは不思議な人で、「エロティシズムもイズム」であるという名言を吐いている。『階段を降りる裸体 No.2』は「裸体は寝ているものであって階段を降りるものじゃない」と皮肉を言われて、腹が立ったデュシャンはキュビスムグループから脱退してしまう。その同じ年に『処女』や『処女から花嫁への移行』という絵を描いている。そして後年は『花嫁は彼女の独身者によって裸にされて、さえも』を制作して、最後の『遺作』は女が股を広げて死んでいるようなものだった。

 

このデュシャンの作品群を一望すると、要するデュシャンは、ひとりの女が人生を移行していくという図像学的な物語性の追求があることがわかる。裸体に始まって裸体に終わる(笑)。一方で視覚芸術としての芸術に反旗を翻しながら、他方では図像学的で物語的でまぎれもない視覚芸術的な制作行為を一貫していたところがあるわけです。

 

あまり、デュシャンについて論じられない点ですが、コンセプチャル・アート以外にデュシャンには「エロティック・アート」という主題があるのです。美術史家でエロティシズムをアカデミズムに語る人はいませんが。

 

「私は大いにエロティスムを信じています。サンボリスムやロマンティスムと呼んでいるものに取って代われるのだとも言えます。それは、いわば、もうひとつの「イスム」たりうるのです。エロティスムを根本的な基盤、主要な目的として用いるのであれば、それは流派という意味でのひとつの「イスム」の形をとるわけです。(デュシャンは語る)」