ラリー・ガゴシアン「画商皇帝」

ラリー・ガゴシアン / Larry Gagosian

近代美術と現代美術の融合させる画商皇帝


概要


ローレンス・ギルバート・ガゴシアン(通称:ラリー・ガゴシアン,1945年4月19日-)は、アメリカのアートディレクター。2015年のアートワールドで最も影響力のある人物第6位。ガゴシアン・ギャラリー・グループのオーナー。

 

ガゴシアン・ギャラリーは、ラリー・ガゴシアンが所有し、また運営している現代美術の画廊である。おもに近代美術と現代美術の作品や作家を扱っている。

 

現在、世界中に13のギャラリーとショップ(現在もポスター販売をしている)。年間売上高約10億ドルを誇るラリー・ガゴシアンは、今年もさまざまな画廊経営で最高の収益を叩き出している。

 

カリフォルニア大学卒業後、大学周辺にて2ドルのポスターを15ドルで売り歩いたのがビジネスの始まり。1980前半にアートの転売ビジネスの可能性を追求し、『GO-GO』とのニックネームにて積極的に売買を繰り返し業界内での存在感を増した。当時のビッグアートコレクターであった、ダグラス・S・クレイマー、エリ・ブロード、キース・バリッシュらとともに取扱アーティスト、作品の価格を意図的に押し上げ、また美術館レベルの展示会を開催し業界内で評判をあげた。

 

1980年中盤にニューヨークに初のギャラリーを設立し、安定のあるスーパー・アートコレクターとともに美術業界を活性化させる。1988年時にジャスパー・ジョーンズの作品『False Start』を17億円にて落札し、生存する作品価格の過去最高値を付け話題をさらった。

 

同ギャラリーでの展示アーティストには、アンディー・ウォーホール、フランク・ステラ、ダミアン・ハースト、ジャスパー・ジョーンズなどなど多数。所属アーティストには村上隆、草間彌生なども名を連ねる。草間彌生の価格が高騰したのもガゴシアンギャラリーへの所属が決まったことが一つの要因。2013年には石田徹也がガゴシアンへの所属が決まった。

略歴


若齢期


ガゴシアンはカリフォルニア州のロサンゼルスで、アメリカ人の両親のもと、2人兄弟の長男として生まれた。彼の祖父母はともにアルメニア移民だった。ガゴシアンとガゴシアンの両親ともにカリフォルニア生まれである。


1963年にカリフォルニア大学に入学。英文学を専攻して、1969年に卒業。学生時代にレコードショップや書店、スーパー・マーケットなどでアルバイトをする。またウィリアムス・モリス・エージェンシーで、実業家のマイケル・オーヴィッツの秘書としても働いていた。


実際にアート・ビジネスと関わりを持ち始めたのは、カリフォルニア大学の近くでポスター販売をし始めたこと。当時、2、3ドルで仕入れたポスターをアルミフレームで額装した状態にして15ドルで売っていたという。


1976年、ウェストウッドのブロクステン通りにある複合施設に空き物件ができたことをきっかけにポスターショップを閉じる。そして、ダイアン・アーバスやリー・フリードランダーなどアーティストの版画作品の販売を始める。これがガゴシアンの最初のギャラリー「ブロクステン・ギャラリー」である。この頃からガゴシアンは現代美術を幅広く扱い始める。

また、ビージャ・セルミンズ、アレクシス・スミス、エリン・ジマーマンといったカリフォルニアの新進気鋭のアーティストたちと交流を始めるようになる。


テレビ業界のバリー・レーベンが、コレクターのダグラス・S・クレイマーにガゴシアンを紹介する。また、クレイマーは彼の元妻でコラムニストのジョイス・ハーパー紹介し、ハーパーは自身が所有している収益性の高い転売用のカリフォルニアアートをガゴシアンに売却する。


1978年にガゴシアンは、ウエストハリウッドのラ・ブレア・アベニューに最初の企画画廊を開き、若手カリフォルニアのアーティスト(ビージャ・セルミンズ、クリス・バーデン)やニューヨークの若手アーティスト(エリック・フィッシェル、シンディ・シャーマン、ジェーン・ミシェル・バスキア)の展示を始めるようになる。この頃に大手コレクターのチャールズ・サーチやサミュエル・ニューハウス・Jrと交流を持ち始める。


1980年代


West 23rd St. in New York City where Gagosian opened in 1986
West 23rd St. in New York City where Gagosian opened in 1986

1985年に事業をロサンゼルスからニューヨークへと拡大。1986年にマンハッタンの西23丁目(West 23rd Street)に2つ目のスペースを開いた。


ガゴシアン・ギャラリーでは、近代美術(1860年代~1970年代ぐらいまで)の作品を展示するだけでなく、現代美術(ガゴシアンと同世代の作家のこと)の個展も積極的に行う運営方針だった。


1980年代には、ロサンゼルスのギャラリーにおいて、エリック·フィッシュル、ジャン·ミッシェル·バスキア、デビッド・サールといった若手の現代美術家の作品を展示し、ニューヨークのスペースでは、ロバート・ラウゼンバーグ、ロイ・リキテンスタイン、ウィレム・デ・クーニングの初期の作品を展示して、抽象表現主義やポップアートといった「ニューヨーク・スクール」の歴史を俯瞰する展覧会を開催した。


1989年に、ニューヨークのマディソン通り980番地にスペースを拡張。初開催の展示会は「ジャスパー・ジョーンズの世界」だった。最初に2年間、マディソンのスペースは、元々サザビーズが使用していた場所だった。そこで開催された初期の主な展覧会としては、イヴ・クライン、アンディ・ウォーホル、サイ・トゥオンブリー、ジャクソン・ポロックなど。しばらくして、ウォルター・デ・マリア、フィリップ・ターフェ、フランチェスコ・クレメンテ、ピーター・ハレー、アンドリュー・ロードなどのアーティストがギャラリーに参加した。

1990年代


ニューヨークのガゴシアン・ギャラリーの2軒目は、ソーホー地区にオープンした。そこは1991年においてニューヨーク・アートシーンの最前線で、少し前まで、デビッド·サールやフィリップ・ターフェと長期契約を結んでいたメアリー・ブーン・ギャラリーだった。


新しい場所では、リチャード・セラ、マーク・ディ・スヴェロ、バーネット・ニューマン、クリス・バーデンといったアーティストたちの大規模な作品の展示が開催。


地下ではエレン・ギャラガー、ジェニー・サヴィル、ダグラス・ゴードン、セシリー・ブラウンといった若手アーティストたちの作品を展示。二階のギャラリーでは、ジョアン・ミロ、アレクサンダー・カルダー、ヘンリー・ムーアといった巨匠たちの記念彫刻を展示することによって美術史と接続性を強調した。

 

アンディ・ウォーホル財団の協力を得て、ニューヨークの2つのギャラリーで、ウォーホルのロールシャッハ絵画、迷彩絵画、後期ドローイング、酸化絵画、ダイヤモンドダストシャドウ絵画などを中心としたウォーホルの展覧会が行われた。


1996年には、ダミアン・ハーストのアメリカにおける初個展「No Sense of Absolute Corruption」が開催され、論争となったホルマリン漬けされた動物が展示された。

 

1995年には、ビバリーヒルズにリチャード·マイヤー設計の3つ目のギャラリーをオープン。ビバリーヒルズのギャラリーは、エド・ルシェ、ナン・ゴールディン、フランク・ゲーリー、ジェフ・クーンズ、リチャード・プリンスといったアーティストの展覧会を開催。


またパブロ・ピカソ、ロイ・リヒテンシュタイン、抽象表現主義のグループといった近代美術のアーティストの展示も行った。またクーンズの巨大な彫刻『celebration』の制作資金を調達するために、ガゴシアンを含むディーラーの組合は、バイヤーに対して制作資金の援助を打診。バイヤーたちは「バルーン・ドッグ」や「キャンディー・カラー・ハート」など自動車サイズの作品を1つ所有するのを条件に、100万から800万を支払った。

 

1999年に、ガゴシアン・ギャラリーは、ソーホーからニューヨークのチェルシーにあるウエスト24番通りへ移転。リチャード・グルックマン設計の2300㎡のその広大なスペースは、1999年の11月に、リチャード・サラの記念的な彫刻「Switch」の展示でオープン。美術館レベルの広大なスペースで、リチャード・サラ、ダミアン・ハースト、ロバート・テリアンなどの巨大な作品の展示が行われた。



2000年代


2000年の春、ガゴシアンはロンドン、ピカデリーのヘッドホホ・ストリートに、カルーソセント・ジョン社設計によるギャラリーを新設し、国際的なギャラリーに成長した。また新設したギャラリーは、ロンドンで最も大きな商業画廊になった。ロンドンのギャラリーは、イタリア人作家のヴァネッサ・ビークロフトによるパフォーマンスで始まり、続いてクリス・バーデンの作品展示が行われた。

 

2000年9月に、ニューヨークで、ガゴシアンはハーストの展示『Damien Hirst: Models, Methods, Approaches, Assumptions, Results and Findings.』を開催し、その展示には12週間で10万人の人々が訪れ、作品は完売した。その個展の様子はイギリスの「Channel 4 TV」でドキュメンタリーとして放送された。

 

2004年の5月に、ロンドンで2軒目となるギャラリーをブリタニア・ストリートに新設。設計は前回と同じくカルーソセント・ジョン社が担当。サイ・トゥオンブリーの絵画や彫刻作品の展示でギャラリーは始まった。スペースの広さはチェルシーのスペースに匹敵するもので、その後のロンドンで最大の商業画廊となった。巨大な彫刻、ビデオ作品、インスタレーションの設置が可能となった。マルティン・キッペンベルガーの個展『The Magical Misery Tour, Brazil』などが有名な展示である。

 

ヘッドホホ・ストリートのギャラリーは、2005年7月に閉廊し、新しい店頭スペースがデイビス・ストリートにオープン。パブロ・ピカソの版画の歴史的な展覧会を行った。


2011年に、イギリスの美術誌「アートレビュー」は毎年企画する「アート・ワールドで最も影響力のある人物」でガゴシアンを4位に番付した。しかしながら多くの人は、実際は世界で最も力の強いアートディーラと見なしている。2015年は6位に番付されている。