142.エリート教育

エリート(フランス語: élite、選良)とは、社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。語源はラテン語の「ligere」(選択する)で、「選ばれた者」を意味する。血統の場合は貴族主義などの身分制度、民族・宗教などの場合は選民思想、知識経験の場合は学歴主義や資格主義に関連する場合がある。


エリート教育とは、その「選ばれた者」に与える大衆教育とは異なる教育である。


スタンフォード式


米国の大学はインプットとアウトプットの量がとにかく多い。百本ノックのように、次から次に読書、レポート、プレゼンテーションの課題が降ってくるため、否が応にも知的筋力がつくのです。知力の中身を以下の3つの能力であると定義します。


①多くの知識や経験があること(インプット)

②多くの知識や経験をうまく整理し、つなげる能力があること(プロセス)

③整理された知識、経験をうまく発信する能力があること(アウトプット)

 

米国の大学、大学院教育はこの3つの能力をバランスよく向上させてくれます。

 

まず知識は、授業ごとに課される膨大なリーディングによって否が応にも高まります。1つの授業で一週間に課される読書量は200ページとして、4つの授業を取ると週に800ページ、他にも、グループワーク、パーティ、インターン日常生活などを通じて、多様なバックグラウンドの人間と交流します。次に「整理する能力」は、膨大なレポートの課題によって鍛えられます。課されるレポートは“知識の編集作業”といったかんじです。カギとなるのは「どの論点に優先順位を置くか」と「論理的な厳密性」の2つです最後にアウトプットの能力です。これは、レポート、クラスでの討論、そして、プレゼンによって磨かれます。

 

一番大切なのは「知識のインプット能力」だと思います。結局、人と知力で差をつけるカギとなるのはインプット量であるというのが私の結論です。日本の学生の差を生んでいるのはインプット量、読書量の差なのです。授業一回当たりの読書量を本1冊(200ページ)とすると、最低でも480冊の本を学生時代に読むことになります。しかも課題図書の大半は堅い本ですので、流し読みでは歯立ちません。


また膨大なタスクを同時に課せられることで、時間管理プロジェクトマネジメントのスキルも磨かれます。圧倒的な仕事量を、限られた時間の中でこなしていく術を学生生活の中で習得していくのです。

 

●抽象思考

米国流教育の強みは、「演繹的に物事を考える能力」「限られた情報から物事を予測する能力」を鍛えるよい訓練になります。仮説を立て、それを検証し、修正していく、こうした習慣を米国の学生は毎日叩き込まれるわけです。また、抽象的、イデオロギー的です。日本人と米国人では、抽象的思考能力(コンセプト)と現場感覚(リアリズム)のバランスが真逆であるように感じます。日本人はつい“現場絶対主義”に陥ってしまいます。抽象的な論理ばかりにこだわると、現実離れした答えに行き着くリスクがありますが、現場感覚ばかりに浸ると、目の前の情報に引っ張られて、問題を大局的に見ることができなくなってしまいます。逆に米国のエリートは、過度な抽象化と現場感覚の欠如により、大きな失敗を犯しがちです。

 

●未来学

未来学者のポール・サフォーは、未来予測にあたって3つの要素を念頭に置くべきだといっています。1つ目は「コンスタンシー(不変性、恒常性)」です。過去から今に至るまで変わらないもの、つまりは歴史です。米国に当てはめると、多民族国家であることや、地理的条件、そして、英語という母国語など変わらない要素が多くあります。2つ目が「サイクル(循環)」です。歴史は過去と同じ形では繰り返しませんが、ある種のクセ、バイオリズムのようなものはあります。たとえば、日本の近代史については、40年周期説というのが有名です。40年ごとに「絶頂」と「どん底」を繰り返すというものです。最後に、「ノベルティ(新規性)」です。インターネット、核兵器の誕生など、歴史における全く新しい要素の誕生です。歴史が昔と同じように繰り返さないのは、こうした新しい要素があるからです。逆にいえば、この「ノベルティ」以外の2つの要素である「コンスタンシー」と「サイクル」は、歴史から学ぶことができます。さらにいえば「ノベルティ」でさえも、過去から類似した例をもってくることにより、未来への示唆を得ることができるのです。