153.アイ・ウェイウェイ

アイ・ウェイウェイ / Ai Weiwei

中国に民主主義の灯火を!


概要


艾 未未(アイ・ウェイウェイ)(1957年8月28日-中国・北京生まれ)は中国の現代美術家。彫刻家、インスターレション、建築、キュレーティング、写真、映像など表現領域は多岐にわたる。さらに社会評論家、政治評論家、文化批評家としても活動している。

 

一般的には、スイス人建築家「ヘルツォーク&ド·ムーロン」とのコラボレーションで、2008年の北京オリンピックの主会場である北京ナショナルスタジアム(鳥の巣)の建設の芸術顧問に携わったたことで知られている。

 

政治活動家、社会活動家としても有名で、アイは自由と民主主義の思想の下に中国政府のスタンスを公然と批判している。2008年5月の四川大地震で多くの児童・生徒・学生が校舎の下敷きになり死亡した事件では、被害の全貌が明らかにしない政府に対して、自らのブログを通じて犠牲の実態調査を始めた。

 

2011年4月3日、北京首都国際空港で「脱税容疑」として逮捕され、81日間拘束された。現在も、海外渡航、メディアとの接触を制限されている。

 

 

略歴


幼少期


艾の父は中国人詩人の艾青で、母は同じく詩人の高瑛。父は文化大革命における反右派闘争で、中国共産党から非難を浴び、中国共産党から除籍される。1958年、アイが1歳のときに家族は黒竜江省の労働者キャンプに送られる。

 

その後1961年に新疆ウイグルの石河子の労働改造所に強制送還され、そこで16年間過ごすことになる。毛沢東が死に、文化大革命が終了すると、1976年に家族は北京に戻ることができた。

 

1978年に艾は北京映像大学に入学し、アニメーションの勉強をする。1978年に前衛芸術集団『星星画会』の創設メンバーの一人となり、马德升、王克平、黄睿、李爽、鍾阿城、曲磊磊ととも活躍する。

 

1983年にグループは、中国政府の圧力を受けて解散したが、その後も艾は定期的に『星星画会』のグループ展示『星星:10年』(1989年)や、2007年に北京で開催された回顧展『出発点』などに参加している。

 

 

アメリカ留学


1981年から1993年まで、艾はニューヨークに滞在。パーソンズ美術大学に在籍する。

 

また1983年から1986年までアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに在籍し、そこでブルース・ドーフマン、ノックスマーティン、リチャード・プッストゥダートらと活動をする。

 

のちに艾は学校をドロップアウトし、ストリートで肖像画を描いて生活したり、奇妙な仕事をしていた。この時代、アイはマルセル・デュシャン、アンディ・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズの作品を研究し、レディ・メイドの手法を利用してコンセプチュアル・アートやパフォーマンス・アートを始めるようになる。

 

ニューヨークにいる間、ビート詩人のアレン・ギンズバーグと親友になる。ギレンズバーグは中国を旅行し、中国で有名な詩人である艾の父に会い、その結果として二人の関係は親密になったという。

 

イースト・ビレッジ(1983年から1993年)に滞在中、艾はカメラをいつも携帯して歩き、世界中の写真を撮影。現在それらの写真は後に選別されて『ニューヨーク写真』として知られている。

 

同時期、艾はブラックジャックカードゲームやアトランタのカジノに熱中しはじめる。『blackjackchamp.com』が発行した記事によれば、現在もギャンブル業界において一流のブラックジャックプレイヤーと見なされている。

 

 

中国に戻る


1993年、父が病気になると艾は中国に戻る。その後、実験的な芸術家の北京イースト・ヴィレッジの設立を助け、中国人キュレーターの馮博一とともに新世代アーティストに関する3冊の本『黒本』(1994年)、『白本』(1995年)、『グレー本』(1997年)を出版した。このグループには張洹や馬六明といったパフォーマンスアーティストらが参加し1990年代前半の中国現代美術の焦点になった。

 

1999年に艾は北京北部移動してスタジオを作る。これは彼の最初の建築作品で、この頃から建築に関心を移し始め、2003年には建築スタジオ『FAKE Design』を設立することになる。

 

2000年に上海で、艾は展覧会『不合作方式 ファック・オフ』を馮博一とともに企画した。この展覧会は、肉体を酷使するパフォーマンスアーティストのみならず、人間の本物の死体を用いた作品を作るアーティストまでが登場する激しいものであった。

 

艾は同じ芸術家の路清と結婚したが、不倫関係で一人の息子がいた。

 

 

インターネット活動


2005年にアイは、中国で最も巨大なブログサービス『新浪微博』でブログを始めた。11月19日に初めて記事が投稿された。4年間彼はブログで、中国共産党の政治方針の批判、芸術や建築に関する思想、自伝的な事、厳しい社会的批評などを定期的に投稿して注目を集めた。

 

彼の影響力が強かっため、中国政府は2009年5月28日にアイのブログを強制削除。その後、アイはTwitterに活動場所を変えて、毎日少なくとも8時間はTwitter(@aiww)で意見を主張するようになった。

 

 

鳥の卵


艾はスイスの会社ヘルツォーク&ド・ムーロンと共同で、2008年夏のオリンピックの開催に伴う北京国立スタジアムの設計デザインの依頼を受けた。この建築物の通称「鳥の卵」と呼ばれるものである。中国メディアは無視したけれども、艾は反オリンピックの主張を表明していた。

 

2007年夏に、艾は北京オリンピックの開会式演出に起用されたスティーブン・スピルバーグや張芸謀を含め、モラルの判断や芸術家としての責任を果たさずにこのようなイベントに関わることについて非難している。2008年2月にスピルバーグは2008年夏のオリピックの顧問役を降りると発表した。艾はなぜ「鳥の卵」のデザインに参加したのかと尋ねたところ、「私はデザインを愛しているから、それを行なった」と話した。

北京国立スタジアム(2008年)
北京国立スタジアム(2008年)

四川大地震


2008年5月12日に四川大地震が発生した後、アイは救援に向かいつつ、震災後のさまざまな廃墟地域の状況をビデオ撮影を行なった。また児童・生徒・学生らが校舎の下敷きになり死亡するなど被害の全貌が明らかにしない中国政府に対して、2008年12月15日、艾は自らのブログを通じて犠牲の実態調査を始めることにした。

 

2009年4月14日、5385名の名前が犠牲者リストに追加された。艾は2009年5月に中国当局によって強制削除されたブログ上の膨大な調査資料記事と同じ内容のものを出版した。また北京にあるオフィス『FAKE Design』の壁に犠牲者となった学童の名前リストを掲載した。

 

艾は2009年8月に成都で警官から殴打されて以来、頭痛に悩まされ仕事に集中することが困難になったと話している。9月にはドイツのミュンヘンで入院し、脳内出血と診断され手術を受けた。

 

 

脱税逮捕


2011年4月3日、艾は北京国際空港で香港行きの便に乗ろうとしたところ、出国審査を受けたあとに逮捕され、彼のスタジオは強制捜査されることになった。

 

約50人の役人や警官がスタジオに来て、周囲に立ち入り禁止線を引いて施設を捜索。デスクトップPCやハードドライブなどが押収、さらに艾のスタッフ8人と妻の呂清が拘束された。さらに警察は艾の2歳の息子の母、不倫相手を訪問した。

 

4月6日のニュースによれば、中国当局は脱税の疑惑で調査をするために拘束したという。4月8日、警察は艾の財務関連の資料を調べるために再び艾のスタジオを捜査に入る。

 

艾は同年6月22日に保釈となった。理由は艾が罪状を認めたことや持病を考慮してのこととしている。釈放後の6月末、北京市地方税務局は艾のスタジオに対して、脱税を理由に1,200万元以上の巨額の追徴金支払いを命じた。