マリーナ・アブラモヴィッチ「パフォーマンス・アートのグランドマザー」

パフォーマンス・アートの母

マリーナ・アブラモヴィッチ / Marina Abramović


概要


マリーナ・アブラモヴィッチ(1946年11月30日生まれ)は、ユーゴスラビア出身、現在はニューヨークを拠点として活動しているアメリカの芸術家。

 

1970年初頭よりパフォーマンス・アーティストとして活動を開始。作品を通じて、芸術家と鑑賞者の間の関係性身体の限界精神の可能性を探究している。30年以上におよぶパフォーマンス活動から、彼女は“パフォーマンスアートのグランドマザー”と評されている。


レディ・ガガが彼女から特に影響を受けていることは有名で、アブラモヴィッチ式瞑想法を実践したり、マリーナ・アブラモヴィッチが設立した「マリーナ・アブラモヴィッチ・インスティテュート」を支援するため、フルヌードを披露している。

略歴


若年期


マリーナ・アブラモヴィッチは、1946年11月30日にセルビア社会主義共和国のベオグラードで生まれた。叔父はセルビア正教会の大司教だった。両親は第二次世界大戦中、パルチザンとして活動しており、父のボジョは司令官で戦後国民的英雄として称賛され、母のダニカも軍人であり、また1960年代にはベオグラードの革命博物館のディレクターでもあった。


アブラモヴィッチの父は1964年に家族の下を離れる。1998年に公表されたインタビューによれば、アブラモヴィッチは母について「私と弟は、厳しい軍隊的規律の家庭教育を受けた」と話しており、29歳まで夜10時以降の外出をしたことはなかったという。そのためユーゴラスビア時代のパフォーマンスはすべて夜10時までのものだった。


アブラモヴィッチは、1965年から1970年までベオグラードの美術大学に通う。1972年にクロアチアのザグレブにある美術大学で大学院卒了。1973年からアーティストとして最初のパフォーマンスを行う1975年まで、彼女はセルビアのノヴィ・サドにある美術大学で教師をしていた。


1971年から1976年までの間、彼女は Neša Paripovićと結婚していたが、1976年にユーゴスラビアを去り、アムステルダムへ移動した。

 

 

Rhythm 10, 1973


1973年にアブラモヴィッチはエジンバラで最初のパフォーマンス「リズム10」を行う。それは20個のナイフと2つの録音機を使ったナイフ・ゲームだった。


アブラモヴィッチは、リズミカルな動きでナイフを指と指の間に突き刺していき、ときどき失敗して指を傷つけるたびに、用意している別のナイフに取り替えて、ナイフ・ゲームの続行した。このナイフ・ゲームの音をテープで録音し、20回失敗して指を傷付けたあと、ゲームを中断し、ナイフを突き刺す音を録音したテープを聴く。その後、またナイフ・ゲームを繰り返した。


このパフォーマンスでアブラモビッチが意図していたことは、敗した過去の動作(録音したテープ)と現在の動作を融合して、身体の物理的、精神的な探求を行うことだった。この作品でアブラモヴィッチは、パフォーマーの意識の状態を考え始めた。

「Rhythm 10」1973年
「Rhythm 10」1973年

Rhythm 5, 1974


「リズム5」は1974年に行われたパフォーマンス。次にアブラモビッチは極端な身体の痛みを再喚起しようと試みた。

 

大きな星型の枠の中にガソリンを流し込んで火を付け、炎で共産主義の象徴である赤い星を作る。アブラモビッチは炎の星の外側に立ち爪や髪を切り、それらを炎の中に投げ込む。その行為はアブラモビッチの過去の政治的伝統に対する物理的、また精神的な浄化を表現しているという。


そしてパフォーマンスの最後には、アブラモヴィッチがその炎の星の中心に横たわって政治的メッセージを表現しようとした。しかしその際、酸素不足から意識をなくし、医者と観客は星の枠から彼女を助けだしたという。あやうく命を落としかける事態だった。

「Rhythm 5」1974年
「Rhythm 5」1974年

Rhythm 0, 1974


「リズム0」は、鑑賞者とパフォーマーの関係の臨界点を実験したもので、アブラモヴィッチのパフォーマンスで最もよく知られている1974年の作品。彼女は客体となり、主体となった鑑賞者が彼女に対して起こすアクションの実験しようとした。


テーブルの上に、大小の鎖、ベルト、鞭、鳥の羽でできたはたき、ロウソク、拳銃72個のさまざまなオブジェが用意され、鑑賞者はそれらから好きなオブジェを手にしてアブラモヴィッチの身体の上でそれを自由に使うよう指示された。アヴラモヴィッチは自身を「物体」化することにしたという。


このアクションは6時間続き、アブラモヴィッチは観客によって上半身が脱がされ、手にはポラロイド写真を握らされ、乳房に薔薇の花びらが貼られ、腹には赤い色で文字が書かれた。最後に、アブラモヴィッチが客体(物体)の状態から主体へ戻り観客に向かって歩き出すと、観客は怯えて、会場から逃げ出した。ホテルに帰った彼女の髪の一部は恐怖のあまり白髪になったと言われている。

The Other


1976年にアブラモヴィッチはアムステルダムへ移動した後、西ドイツのパフォーマンス・アーティストのウライに出会う。アブラモヴィッチとウレイはコラボレーションを始めるようになる。


2人の主なコンセプトは、自我と芸術アイデンティティである。これは10年に及ぶ影響力の高いコラボレーション・ワークの始まりだった。2人とも個々の文化的遺産の伝統や儀式的欲望に関心をもっていた。その結果、2人は「The Other」と呼ばれる共同の芸術スタイルを行採用することにした。彼らはそれを「双頭体」のようなものと話している。


2人は同じ服を着て、まるで双子のようにふるまい、完全な信頼関係を生成する。2人はこの幻影的なアイデンティティを定義したことにより、本来ある個々のアイデンティティは小さくなっていったという。

Seven Easy Pieces


2005年11月9日から開始されたニューヨークのグッゲンハイム美術館におけるアブラモヴィッチの個展「Seven Easy Pieces」では、アブラモヴィッチは、7時間7連泊で、彼女は60年代から70年代に行なわれた5人のアーティストの代表的パフォーマンスを、アブラモビッチが再演するというイベントであった。これらのパフォーマンスは、肉体的にも精神的にも非常に集中力を要する骨の折れるものだった。7日間にわたって行われたパフォーマンスリストは以下のものとなる。


・ブルース・ナウマン 「ボディー・プレッシャー」

・ビト・アコンチ 「シードベッド」

・バリー・エクスポート 「アクション・パンツ:生殖パニック」

・ジーナ・ペイン 「コンディショニング 自画像における3つの段階における第一段階」

・ヨーゼフ・ボイス 「死んだうさぎに写真をどう説明するか」

・マリーナ・アブラモビッチ「リップス・オブ・トマス」

マリーナ・アブラモビッチ「他の世界への侵入Entering the other side」

(参考サイト:http://www.shinyawatanabe.net/writings/content57.html

MoMAで回顧展


2010年3月14日から5月31日まで、ニューヨーク近代美術館で、アブラモヴィッチのパフォーマンスを再現する回顧展が開催された。これはMoMAの歴史においてパフォーマンス・アートに最大の展覧会である。展示期間、アブラモヴィッチは736時間30分、沈黙のまま、訪れる鑑賞者と椅子すわって向かい合うパフォーマンス「The Artist Is Present」を行った。オープニングナイトでは、かつてのパートナーのウライが現れて彼女を驚かせた。

アブラモヴィッチと一緒に座りづづけるサポートグループ「sitters」がFacebook上で形成された。またイタリアの写真家マルコ・アネリはアブラモヴィッチと対面したすべての人びとのポートレイトを撮影し、Flickerにアップロード、また書籍化されニューヨークのDanziger Galleryでポートレイトの展覧会も行った。


アブラモヴィッチは「すべての可能な要素、すべての肉体的な感情を完全にした。」と、今回の展示で自分の人世を変えたと述べた。