サルバドール・ダリ略歴2「シュルレアリスト」

アンダルシアの犬


1929年、ダリはパリを再訪。ルイス・ブニュエルとのコラボーレション作品 『アンダルシアの犬』を制作。ブニュエルとダリが互いに出し合ったイメージ群を映像化したものであり、明確なストーリーはないもののエロスとタナトスの表現対比が目立つ内容となっている。


「アンダルシアの犬」でダリがしたことはブニュエルの脚本やイメージののサポートだったが、ダリはのちにイメージや脚本だけではなく、撮影にも重要な役割を担ったと主張している。これは現在のところ事実かどうかは分かっていない。

偏執狂的批判的方法


「記憶の固執」(1931年)
「記憶の固執」(1931年)

1929年、ダリはプロの画家として重要な個展を開催、またジョアン・ミロの案内でパリ、モンパルナスに集うシュルレアリムのグループに公式に参加。


ダリの作品はグループに加わる前からすでにシュルレアリストたちに大きな影響を与えており、パリのシュルレアリストたちは、芸術的創造のために無意識の世界にアクセスする「偏執狂的批判的方法」と呼ばれるダリの画風を歓迎した。

 

1930年、ダリはポルト・リガトの近くに漁師の小屋を買いとり、仕事が順調に発展していくにつれ、ガラと2人でその家を増築していった。

 

ダリのめざましい成功は、作品のすばらしさもさることながら、その宣伝のうまさと、ガラの抜け目ない金銭感覚に負うところが大きかった。1934年には、わずか30歳の若さで、世界中からばく大な報酬を得るようになっていた。

 

1931年にダリは彼の代表作品「記憶の固執」を完成させた。それは抽象的な柔らかいもの、懐中時計、アリなどのモチーフで構成されており、柔らかくフニャフニャした時計は、規律性、剛直性、決定論的意味を持つ「時間」に対する拒否を意味しているとう。

 

剛直性に対する拒絶という考えは、長く引き伸ばされた風景や群がったアリによってぐったりした時計でも見られる。ダリは性的不能(勃起不全)であり、時間の経過とともに柔らかくなる男根に対する不安がつきまとっていたという。

 

また絵の中心の白い物体は、「大自慰者」であり、ダリの自画像だといわれている。大自慰者は、ダリのさまざまな作品に現れる。

 

「大自慰者」(1929年)
「大自慰者」(1929年)
「カタルーニャのパン」(1932年)
「カタルーニャのパン」(1932年)
「皿のない皿の上の卵」(1932年)
「皿のない皿の上の卵」(1932年)

ブルトンとの対立


シュルレアリストの多くが左翼政治と関わりをもっていくなか、ダリは政治と芸術の関係に適度な距離おいてあいまいな立場を維持。

 

シュルレアリストのリーダーであるアンドレ・ブルトンは、ヒトラーのファシズムを賛美するようかのような態度のダリを非難したが、ダリは素早くブルトンの非難に対して「私はヒトラーを支持しているわけではないが非難もしない」と弁明した。

 

ダリにとってシュルレアリスムは、政治に関与しない方向で発展する可能性があると主張し、ファシズムを非難することを拒否した。しかし、1934年に、ダリはシュルレアリスムグループから追放されることになった。追放されたことに対してダリは、「私自身はシュルレアリスト」と主張した。