サルバドール・ダリ略歴4「第二次世界大戦」

わが秘められた生涯


第二次世界大戦時は戦禍を避けて、ダリとガラはアメリカへ移動し、そこで8年間住んだ。ダリとガラは、フランス、ボルドー在住のポルトガル人外交官アリスティデス・デ・ソウザ・メンデスによって発行された無料ビザで1940年6月20日に亡命することができたという。

 

ニューヨークにやってきたダリは、戦後、ワールドアートセンターとして都市を発展させる重要な触媒となった。

 

「この時代、ダリはずっと文章を書いていた」と言われており、1941年にダリは「Moontide」というジャン・ギャバン主演の映画の草案を作成。1942年に自伝『わが秘められた生涯』を刊行。ダリは本の中でダリの文才の発揮の裏には、ガラの編集力が大きい事を話している。

 

「ガラは、私には話すだけでなく文章を書く才能がある、グループの人々の想像をはるかに超えた、哲学的深い意味を持つ文章を書けるということを皆に知らしめようと、とりつかれたように奔走した。ダリは私が書き散らしたそのままでは意味をなさない、ばらばらの走り書きをかき集め、たんねんに読み込み、なんとか読める(系統だった形)にまとめた。

 

さらに、すっかり形の整ったこの一連のメモを理論的で詩的な作品にすべく、忠告を与えて私にまとめさせ、『見える女』という本をつくりあげた。これは私の初めての著書であり、「見える女」とはガラのことだった。しかし、この本で展開した考えゆえに、やがて私は、シュルレアリスムの芸術家の絶え間ない敵意と不信の只中で、戦うこととなった。」

 

また「わが秘められた生涯」でダリは、共産主義者でアナーキストだったルイス・ブニュエルについて「ブニュエルは無神論者だ」と書き、それが原因でブニュエルはニューヨーク近代美術館から解雇される。その後、ブニュエルはハリウッドへ行き、1942年から1946年までワーナー・ブラザーズのダビング部門で働くことになった。1982年に出版されたブニュエルの自伝「Mon Dernier soupir」によれば、ダリと和解することは拒否していたようである。

 

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1943年にはニューヨークのKnoedler Galleryでの個展で、自動手記といったシュルレアリストたちによく利用される技術を批判。自動記述のような理性やアカデミック性を欠如した描き方は、ダリにとってただの怠慢にしか見えないものだった。ほかに1944年には、最初の小説『隠された顔』出版。