サルバドール・ダリの略歴5「戦後」

戦後、1949年からダリはスペインに戻り、そこで残りの人生を過ごした。フランコ独裁体制へのダリの受容と信奉はほかのシュルレアリストや知識人たちをひどく不快にさせた。

数学や幾何学への関心


「記憶の固執の崩壊」(1954年)
「記憶の固執の崩壊」(1954年)

ダリは、戦後、自然科学や数学に対して興味を抱き始める。

 

これらの影響は特に1950年代からの絵画作品に現れ始めており、サイの角状のモチーフを主題とした作品(「記憶の固執の崩壊」など)をよくを描いている。ダリによればサイの角は対数螺旋状に成長する素晴らしい幾何学芸術だという。

 

また純潔と聖母マリアというテーマとサイを結びつけた傑作「自分自身の純潔に獣姦される若い処女」を制作。またDNAや4次元立方体にも関心を持ち始める。ハイパーキューブを主題にした作品「磔」などが代表的な作品である。

「自分自身の純潔に獣姦される若い処女」(1954年)
「自分自身の純潔に獣姦される若い処女」(1954年)
「磔」(1954年)
「磔」(1954年)

ポップアートへの影響


「システィーナの聖母」(1960年)
「システィーナの聖母」(1960年)

1959年にアンドレ・ブルトンは「シュルレアリスムのオマージュ」という展覧会を企画し、ダリやジョアン・ミロ、エンリケ・タバラといったスペインのシュルレアリストの作品を含めたシュルレアリムの40周年記念が催された。

 

ブルトンは、翌年にニューヨークの国際シュルレアリム展で展示されたダリの作品「システィーナの聖母」に対して激しく非難をした。

 

ダリの後年の活動は、絵画だけに収まることはなく、小説をはじめ、さまざまな新しいメディアを使った実験を行った。

 

後年のダリ作品の特徴は、オプアート(錯視芸術)、空白(余白)、視覚的なダジャレ、トロンプ・ルイユ(騙し絵)などを用いたビジュアル効果である。また点描、網点、ドットなどの技法もよく使っている。これはのちにロイ・リヒテンシュタインに影響を与えた。

 

ほかにステレオスコープ(3次元絵画)にも挑戦。ダリはファインアートの文脈でホログラフィを採用した最初のアーティストである。後年のダリの活動は、アンディ・ウォーホルをはじめとしたポップ・アートに重大な影響を与えた。

「死んだ兄の肖像」(1963年)
「死んだ兄の肖像」(1963年)