サルバドール・ダリの略歴6「晩年」

晩年


1968年にダリはガラにプボル城を購入し、1971年からガラはそこで一度行くと数週間は一人でこもって出てこなくなった。ダリ自身の言葉によれば、ガラの書面による許可なしにプボル城へ出向くことは固く禁じられていた。長年の芸術のミューズであるガラからの疎遠はダリを不安にさせた。ダリはうつ病になり、健康を害し始めた。

 

1980年、76歳のダリの健康は壊滅的な方向へ向かい始めた。右手はパーキンソン病の症状でひどく震えるようになった。ガラによればダリは危険な処方箋を投与され、それが原因で神経系は損傷したため、ダリの芸術的能力は早過ぎる終わりを迎えていたようである。

 

1982年、ダリはフアン・カルロス1世 (スペイン王)から「マルケス・デ・ダリ・デ・プボル」の貴族の称号を与えられた。プポルというのはダリがガラにプレゼントしたジローナのプポル村にある中世の城の名前で、実際にその城でダリとガラは晩年に過ごした。

 

1982年6月10日、ガラが死去。87歳だった。ガラが死んだ後、ダリは生きる気力を失う。その後、何度か脱水症状により自殺未遂を行う。その後、フィゲラスからガラのプレゼントのために購入したプボル城へ移り住む。

 

また世間に疎かったダリは、ガラのような金銭感覚をまったくなく、非常にルーズなため、人に自分のお金を遠慮なく貸しまくり、借金まみれになっていった。

 

1983年5月、ダリはルネ・トムの数学的破局論の影響を受けた最後の作品「スワロウ・テイル」を完成させる。

 

1984年、原因不明の寝室の火事でダリは大やけどする。おそらくダリの自殺未遂だったと言われている。

 

1988年11月、ダリは心不全により病院へ搬送される。ペースメーカーは入院前からすでに身体に埋め込まれていた。1988年12月5日、フアン・カルロス1世 (スペイン王)が病院に見舞いにきて、カルロス1世はダリの熱狂的な信者だったことを告白した。

 

1989年1月23日、ダリの好きなレコード「トリスタンとイゾルデ」を再生しながら、84歳でフィゲラスで死去。フィゲラスにあるダリの劇場美術館の地下に埋葬された。