204.レメディオス・バロ

機械やSFの影響が大きい女性シュルレアリスト

レメディオス・ヴァロ「鳥の創造」(1958年)
レメディオス・ヴァロ「鳥の創造」(1958年)

レメディオス・バロ / Remedios Varo


レメディオス・バロ・ウランガ(1908年12月16日-1963年10月8日)は、スペイン出身のメキシコ人画家、アナーキスト。

 

子供時代に水圧機エンジニアの父の影響で、数学や機械的なドローイング、機関車、SFなどに興味を抱く。そのため数少ない機械的で幾何学的なモチーフをよく描く女性シュルレアリストである。

 

シュルレアリストの詩人、バンジャマン・ペレと出会い結婚。1937年から39年の間シュルレアリスム運動で活躍したあと、ナチスドイツの手から逃れるため、メキシコに亡命。以後、ヴァロは生涯メキシコで過ごす。

レメディオス・バロ「オリノコ川の探査」(1959年)
レメディオス・バロ「オリノコ川の探査」(1959年)
レメディオス・バロ「黙示録と時計師」(1955年)
レメディオス・バロ「黙示録と時計師」(1955年)

略歴


レメディオス・バロ・ウランガ(1908年12月16日-1963年10月8日)は、スペイン出身のメキシコ人画家、アナーキスト。


マリア・デ・ロス・レメディオス・バロ・イ・ウランガは、1908年、スペインのジローナ州郊外にある小さな町アングレで、父ドン・ロドリゴ・バロ・セハルバと、母ドウニャ・イグラシア・ウランガ・ベルガレーチェの間に3人兄弟の第2子生まれた。


バロの誕生は、先に死んだ姉に心を痛めていた母の心の大きな支えとなり、そのため姉と同じ名前(ロス・レメディオス)を付けられた。


父ロドリゴは水圧機エンジニアで、建設場から家に持ち帰った青写真を模写している娘バロの芸術的才能に強い才能を感じ取り、早くから父ロドリゴはバロの芸術的才能を伸ばそうと考えた。独立精神を讃え、科学や冒険に関する本で教育し、とりわけアレクサンドル・デュマやジュール・ヴェール、エドガー・アラン・ポーなどの作家をバロにすすめた。バロが少し大人になってからは、ほかに神秘主義や東洋思想も教えこんだという。


バロは修道院学校で若い女性のための適切な教育を受けることになったが、この修道院教育はかえって彼女の反抗的な性格を助長することになったという。1924年にバロは、マドリードにあるサンフェルナンド王立美術アカデミーで美術の本格的な勉強をすることになる。なお、同時期にサルバドール・ダリも就学していた。


1930年に美術学校の同級生であるヘラルド・リサラーガと最初の結婚するが、スペイン市民戦争が勃発するとバロはパリへ避難。そこでシュルレアリスム運動に大きな影響を受ける。パリに数年いたあと、バロはバルセロナに戻り、そこで2番目の夫となるフランス人シュルレアリスム詩人のベンジャミン・ペレと出会い結婚する(ちなみに最初の夫であるヘラルド・リサラーガとは離婚していなかったことで死後わかった)。次いでバルセロナで「Logicophobiste」と呼ばれるシュルレアリスム系のグループに参加して活動する。


バロが共和党の関係者ということで追求されるようになると、身の安全を確保するために、1937年にペレとパリへ亡命する。その後、彼女は決してフランコ政権下のスペインに戻ることはなかった。


1940年にナチス・ドイツがフランスに侵入すると、シュルレアリストへの迫害を逃れて、1941年暮れにパリからメキシコシティへ亡命。一人でパリに戻ったベンジャマン・ペレとは別れることになり、バロはメキシコに残る。その後、ワルター・グルーンという男性と強いつながりを持つようになる。


1963年に心臓発作のため死ぬまで、生涯メキシコシティで過ごした。


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