ジェフ・クーンズ「キッチュ・オブ・アメリカ」

ジェフ・クーンズ / Jeff Koons

キッチュ・オブ・アメリカ


概要


ジェフ・クーンズ(1955年1月21日生まれ)はアメリカの芸術家。表面に鏡面処理を施したステンレス製のバルーン・アニマルといったシンプルなオブジェ作品でよく知られる。アメリカにおけるキッチュ性を最もよく表現した作家の1人である。現在、ニューヨークと彼のホームタウンである。ペンシルバニア州のヨークの両方で作品を制作している。

 

現在生存中の現代美術家の中でオークション市場で最も高価格で取引される作家の1人。2013年11月に、クーンズの「バルーン・ドッグ(オレンジ)」は、クリスティーズがニューヨークで開催した「戦後美術と現代美術セール」において58.4ミリオンドル(約60億円)で落札された。この価格はそれまでのクーンズの最高落札価格である33.7ミリオンドルを大幅に上回るものだった。「バルーン・ドッグ(オレンジ)」は1990年代後半にグリニッジのコレクターのピーター・ブラントの注文で制作されたものだった。

 

美術批評家のクーンズに対する批評は真っ二つに分かれる。美術史において最重要で批評するものもいれば、キッチュなクーンズの作品を酷評するものもいる。

 

略歴


若齢期


ジェフ・クーンズはペンシルヴァニア州ヨークで、ヘンリー・クーンズとグロリア・クーンズの間に生まれた。父は家具屋でインテリアコーディネーター。母はお針子だった。幼少の頃クーンズはお小遣いを稼ぐために、学校から帰ると包装紙とキャンディを戸別訪問して販売していた。10代頃クーンズはサルバドール・ダリを尊敬しており、ニューヨークのセントレジスホテルにダリを直接訪ねたことがあった。

 

クーンズはシカゴ美術館附属美術大学やメリーランド美術大学で絵画を学ぶ。在学時にクーンズはエド・パシュケに出会い大きな影響を受け、1970年代後半に彼のスタジオでアシスタントとして働いた。

 

大学卒業後、クーンズは1977年にニューヨークに移動し、芸術家としてキャリアを積みつつ、MoMAで働く。この時代クーンズは、ダリの影響もあって髪を赤く染めて、鉛筆で口ひげを加えていた。1980年にクーンズはミューチュアル・ファンドや株を売買するライセンスを得て、ウォール・ストリートのコモデティブローカーとして最初の投資会社を設立。フロリダのサラソータで両親と夏を過ごした後、クーンズはニューヨークに戻り、コモデティ・ブローカーとして仕事を始めた。

 

ジェフ・クーンズが芸術家としての名声が登り始めたのは1980年代なかば頃。情報過多時代におけるアートの意味を探求する世代の一人として注目を集めるようになり始めた。

 

85年「平衡」シリーズを発表。同年、ニューヨークのソナベント画廊がグループ展を企画、「ネオ・ジオメトリック・コンセプチュアル・アート」の名のもとに、美術史家ハル・フォスターが彼らの動向を理論づけ、その中心的存在とされたクーンズは一躍アート界の寵児となる。

 

その後、ニューヨークのブロードウェイとヒューストンストリートの交差点に位置するソーホー・ロフトに工場規模のスタジオを構え、30人以上のアシスタントを雇用し、作品制作を始めるようになる。それはアンディ・ウォホールの『ファクトリー』をモデルとしていた。

 

現在、クーンズのスタジオの広さは1500㎡にも及ぶ巨大なスペースで、90〜120人のレギュラー・アシスタントがいるという。クーンズは色に番号をで割り当てて指示を出す『カラーナンバー』システムを採用し、クーンズの片手のように各アシスタントに対してキャンバスや彫刻制作を指示を出すことができた。