カウンター・カルチャー「対抗文化宣言」

カウンター・カルチャー / Counter Culture

対抗文化


概要


カウンター・カルチャーは、広義的には主流社会の価値観や規範とは異なる行動様式をとるサブカルチャーのことだが、実際の多くは、主流文化の慣習と正反対の行動や価値観をとる「対抗文化」である。


カウンター・カルチャーには「主流文化とは異なる」以外に統一した価値観はなく、その時代、その土地における気風や特定の集団の願望をはっきりと表現しているのが特徴である。


カウンター・カルチャーは、フラストレーションが臨界値に達すると、劇的な文化的変動が始まる。顕著な例は、ヨーロッパやアメリカのカウンター・カルチャー運動で、「ロマン主義(1790−1840)」「ボヘミアン運動(1850−1910)」「ビート・ジェネレーション(1944−1964)」、そしておそらく最も代表的なのはヒッピー文化と連動した「カウンター・カルチャー 60s(1964−1974)」である。


定義と特徴


 "カウンター・カルチャー"という言葉は、1969年に出版されたアメリカの歴史学者セオドア・ローザックの著書『カウンター・カルチャーの誕生』がルーツとなっている。1960年代から1970年初頭にかけて、南北アメリカ、西ヨーロッパ、日本、オーストラリアで席巻した社会革命ムーブメント時にニュースメディアにおいて頻繁に使用された。

 

カウンター・カルチャーの特徴は学者によって異なり、これこそがカウンター・カルチャーであるという決定的なものは存在しない。それは、決定的なポップ・カルチャーの特徴を定義付けることができないのと同じようなものである。

 

マス・カルチャー(またメディア文化)に反発する文化と言われることがあり、また中産階級の文化や価値観に反発するものだと言われることもある。ほかに、大人の価値観、前世代の価値観への闘争と拒絶ととられることもある。カウンター・カルチャーは、一般的には「フリンジ・カルチャー」が独自の価値観を定義し、主流の価値観に反対する形で、拡大・成長して形成される。ピークに達した後は、主流文化にいくぶんかの影響を残しながら衰退する。

 

1960年代に流行したカウンター・カルチャーは、極めて価値観を明示的にし、また政治運動の性質を帯びていたが、本来は明示的でもなければ政治的でなくてもよい。しかし、基本的にはどのカウンター・カルチャーも「今より良い生活や良い社会の建設」を目標として、現在の権力に対する批判や拒絶を行っており、また政党政治や権威に対して好意的でない

 

1960年代後半に、ヒッピーはアメリカにおいて最も巨大なカウンター・カルチャーに成長したが、彼らの文化はそれ以前のカウンター・カルチャー運動である、ロマン主義、ボヘミアン、ビートなど文化を継承しつつ、現代の西洋文化に存続している

セオドア・ローザック「カウンター・カルチャーの誕生」
セオドア・ローザック「カウンター・カルチャーの誕生」

文芸


カウンター・カルチャーでは、さまざまな文化人が活躍した。アンダーグラウンド漫画家ではロバート・クラム、ギルバート・シェルトン、ミスター・ナチュラル。メディアでは「ビレッジ・ボイス」「Oz」。

 

1960年代から1970年にかけてこれらのマンガや雑誌はビーズ、お香、タバコ、染色衣類、蛍光顔料のポスター、書籍などの雑貨と一緒に販売されており、ヒッピー達の基本アイテムとなった。いくつかの店は、ヒッピーがたむろするカフェ形態に変化。ヒッピーのサロンとなり、マリファナの喫煙や本の読み回しなどが行われた。

Oz magazine, number 33
Oz magazine, number 33

ゲイ文化とカウンター・カルチャー


ゲイ解放運動(LGBTの社会運動の前身)は、カウンター・カルチャーとは強い結びつきがあることで一般的に知られている。同性愛者たちがカウンター・カルチャーと連動するその理由は、性別や核家族という単位で構成された近代の基本的な家族制度の廃止への共感である(ヒッピー的コミューンへの共感)。なお、ゲイ解放運動の政治観は一般的に急進的であり、アンチ・レイシストであり、反資本主義である。


1895年に同性愛行為によって処罰され、収監されたオスカー・ワイルドの例から分かるように、20世紀の初頭、カウンター・カルチャーが席巻した国家のほとんどにおいて、同性愛行為というのは刑事的処罰の対象だった。


しかし、心理学者のジグムント・フロイトが、「同性愛は病気に分類されるものではなく、悪徳でなく、恥じるようなものではなく、“病気”というジャンルに分類することはできない。性欲と生殖は本来結びついた自然ではなく、成長して様々な経験を積む中で、はじめて実体的な性器へ向かうようになる。つまり幼児期には誰しもが多形倒錯的な欲望を持っていたのであり、その意味では、全ての人間があらゆる異常な性欲を潜在的に秘めている。」ということを明言しはじめ、同性愛に対する見方に変化が生じる。


チャールズ・カイザーの「ゲイ・メトロポリス」によれば、1930年代なかばにはアメリカンにおいて、反公共的なゲイをテーマにしたコミュニティが存在していたという。代表的なのは1919年から1930年に続いたアフリカ系アメリカ人の文化運動「ハーレム・ルネサンス」で、これはハーレムに暮らす黒人ゲイ・コミュニティとの関わりがあった。また同時期に、バーや有料発展場(発展サウナ、ビデボーなど“ハッテンバ”のこと)はゲイの客を歓迎する空気があった。


しかし、この頃はまだ、ゲイ文化そのものが独立して発展するまでには至らず、ハーレム・ルネサンスやボヘミアン文化など、さまざまな文化の中に包括された状態だった。カウンター・カルチャーとゲイ文化の結びつきもまた同じようなものである。

ハーレム・ルネサンスの黒人たち
ハーレム・ルネサンスの黒人たち
1880年代のウィーンの男性用有料発展場
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