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【美術解説】アロイーズ・コルバス「皇帝への憧れが高じて統合失調症を発症」

アロイーズ・コルバス / Aloïse Corba

皇帝への憧れが高じて統合失調症を発症


アロイーズ・コルバス『Mythe Atalante lance des pommes d'or』,1946年
アロイーズ・コルバス『Mythe Atalante lance des pommes d'or』,1946年

概要


生年月日 1886年6月28日
死没月日 1964年4月6日
国籍 スイス
ムーブメント アウトサイダー・アート

アロイーズ・ブランシュ・コルバスは、ジャン・デュビュッフェの最初のアール・ブリュットコレクションに含まれたスイスのアウトサイダー・アーティスト。数少ない初期女性アウトサイダー・アーティストの一人としてよく知られています。

 

アロイーズが11歳のとき、彼女の母親は心臓病で亡くなり、コルバス家の6人の子どもたちはしばしば粗暴なふるまいをする父親のもとに残されました。

 

オペラ歌手になることを夢見ていましたが、諦め1911年にドイツに渡るまでドレスメーカーとして働いていました。やがてポツダムのカイザー・ヴィルヘルム2世の宮廷で家庭教師の仕事を見つけますが、宮廷の華麗な生活を身近でみるうちに彼女はカイザー皇帝に執拗なまでの恋愛感情を抱くようになります

 

第一次世界大戦が始まると、アロイーズはスイスに戻ることになりますが、アロイーズは妄想的な恋愛を続け、1918年には統合失調症と診断され、セリー・シュル・ローザンヌの精神病院に収容されました。

 

精神病院に収容されてから1920年頃に密かに絵を描き、詩を作り始めましたが、初期の作品のほとんどは破棄されてしまいました。

 

病院のハンス・ステック院長と開業医のジャクリーヌ・ポレ=フォレルが1936年に初めて彼女の作品に関心を持ち、1947年にようやくデュビュッフェによって発見され、評価されました。

 

デュビュッフェは、アロイーズが病気と闘うことをやめ、代わりに病気を飼い慣らしてうまく利用することを選んだことで、病気が治ると考えていたようです。

 

彼女の作品はエロティックで、主に軍服姿の恋人たちに付き添われた、豊満な曲線と流れるような髪を持つ美しい女性で構成されています。クレヨン、鉛筆、花の絞り汁のピンクと黄色の鮮やかな色彩で紙一枚を埋め尽くされています。紙の隅々まで印をつけようとする彼女の強迫観念は、アドルフ・ヴェルフリのそれと酷似した「空白恐怖症」でしょう。

 

1902年に病院の別館、ラ・ロジエール・ア・ジメルに移され、1964年に亡くなるまでそこで過ごしました。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Alo%C3%AFse_Corbaz、2024年1月11日アクセス