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【美術解説】ハインリヒ・ヘルマン・メーベス「時計職人の黙示的ノート」

ハインリヒ・ヘルマン・メーベス / Heinrich Hermann Mebes

時計職人の黙示的ノート


時計職人から精神病施設に至るまで、メーベスの人生はドラマチックな転換を遂げました。敬虔な背景から「悪魔的な行為」への苦闘、そして芸術家への変貌。この記事では、彼の激動の人生と、精神病院での孤独な時間に生まれた神秘的な水彩画のノートを紐解きます。

概要


生年月日 1842年
死没月日 1918年
国籍 ドイツ
ムーブメント アウトサイダー・アート

ドイツの時計職人として知られるメーベスは、信仰心の篤い教師の息子でした。1857年にブランデンブルクで時計職人の見習いとなり、見習い期間中に広範囲を旅しました。彼は当時について「悪魔的な行為」を犯したと述べ、後に敬虔な生活を送ることでその過ちを償おうとしました。

 

メーベスは自らを単なる職人とは考えず、芸術家だと自認していました。最終的にプリッツァーベに落ち着き、自らの時計工房を構え、未亡人と結婚して4人の子供に恵まれました。

 

1868年、彼は自分の時計店を開業しましたが、精神分裂病を発症するまでその事業を続けました。

 

息子が亡くなった1878年、メーベスは初めての発作を起こし、その後2年間精神病院で治療を受けました。10年が経過した1888年、彼はエバースヴァルトにある精神病施設に収容され、そこで死ぬまでの30年間を過ごすことになりました。施設に入って11年後、メーベスは絵画と著述の制作を開始しました。

 

メーベスは亡くなる際、多くの精巧な水彩画で満たされたノートを残しました。これらのノートには、絵画に関する詩的な考察が添えられています。ハンス・プリンツホルンは、メーベスのノートを重要視しており、その中に見られる「様式化された神託のような謎めいた言語」と「過剰な象徴を盛り込んだ絵画」の間に驚くべき平行関係が存在するとしています。

 

また、プリンツホルンはメーベスの神秘的で形式的な絵画が、ドイツ・ロマン派の画家フィリップ・オットー・ルンゲの作品と類似性を持つとも指摘しています。


■参考文献

https://digigiid.ee/en/exhibitions/olge-te-hoitud-ja-armastatud/heinrich-hermann-mebes、2024年2月1日アクセス

・図録『パラレル・ビジョン』展

 

■協力

・ChatGPT

・Canva