ブログカテゴリ:近代美術



近代美術 · 22日 11月 2017
マルク・ザロヴィッチ・シャガール(1887年7月6日-1985年3月28日)はロシア出身のユダヤ系フランス人画家。初期モダニストの代表的な画家であり、また「エコール・ド・パリ」の中心人物。 キュビスム、フォーヴィスム、表現主義、シュルレアリスム、象徴主義など、さまざまな前衛芸術スタイルを融合し、また絵画、本、イラストレーション、ステンドグラス、舞台デザイン、陶芸、タペストリー、版画などさまざまな形式で表現活動を行った。 シャガールは、一般的に“モダニズムの開拓者”と“主要なユダヤ人画家”の2つの美術評価がなされている。美術批評家のロバート・ヒューズは、シャガールを“20世紀を代表するユダヤ人画家”と批評。美術史家のミシェル・J・ルイズは、シャガールを“ヨーロッパ初期モダニストの最後の生存者”と評した。
近代美術 · 21日 11月 2017
退廃芸術とはドイツのナチス政権が近代美術に対して名付けた造語である。 国内における非ドイツ的、ユダヤ系、共産主義的な芸術は禁止され、退廃芸術家に指定された人たちの活動は制限された。制限を受けたものは芸術家だけでなく、美術学校で教鞭をとるものや画商など近代美術関係者全体に及んだ。 1937年にはミュンヘンで、ナチス政権企画のもと『退廃芸術展』というタイトルで展覧会が開催。押収された近代美術が一斉に展示され、各作品を嘲るテキストラベルが付けられた。モダニズムへの批判を一般大衆に煽るよう設計された展示構成になっており、その後、ドイツの各都市やオーストリアで巡回展示が行われた。
近代美術 · 15日 11月 2017
ワシリー・ワシリーヴィッチ・カンディンスキー(1866年12月4日-1944年12月13日)はロシアの画家、美術理論家。美術史においてカンディンスキーは、ピエト・モンドリアンやカジミール・マレーヴィチとともに純粋抽象絵画の理論の創始者として知られている。代表的著作は抽象芸術を理論化した『芸術における精神的なもの』。 カンディンスキーはモスクワで生まれ、オデッサで子ども時代を過ごし、グレコフ・オデッサ美術大学に入学する。卒業後にモスクワ大学に入学し、法律と経済を学び、タルトゥ大学でローマ法に関する教授職を受け持っていたが、教職を捨て30歳を過ぎてから絵を本格的に学び始める。 1896年にカンディンスキーはミュンヘンに移る。アントン・アズべの私立学校で美術を学び、次いでミュンヘン美術院で学ぶ。1911年にはフランツ・マルクとともに「青騎士」を結成し、ドイツの前衛芸術運動で活躍し始める。
21日 6月 2017
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(1880年5月6日-1938年6月15日)はドイツの画家、版画家。ドイツの前衛運動「ブリュッケ」の設立者であり、アンリ・マティスとともに20世紀における表現主義のリーダーシップ的な存在の一人。...
16日 6月 2017
ピーター・コーネリス“ピエト”モンドリアン(1872年3月7日-1944年2月1日)はオランダの画家。 テオ・ファン・ドゥースブルフが立ち上げた前衛運動「デ・ステイル」の創立メンバー。その後「新造形主義」という抽象的な絵画の発展に貢献。白地の上に黒い垂直線と水平線のグリッド模様と3原色で構成された絵画「コンポジション」が代表作。...
19日 5月 2017
「カード遊びをする人々」は、1894年から1895年にかけてポール・セザンヌによって制作された油彩作品。「最後の時代」と呼ばれる1890年代初頭のスザンヌ晩年のシリーズ内の作品。 「カード遊びをする人々」は5点存在しており、各作品ごとにサイズ、人物の数、ゲーム設定が異なっている。またセザンヌは「カード遊びをする人々」のための習作やドローイング作品を膨大に作っている。 2011年にカタール王室が、「カード遊びをする人々」の1点(最後の作品)を2億5000万ドルから3億ドルで購入。別の4点はそれぞれニューヨークのメトロポリタン美術館、パリのオルセー美術館、ロンドンのコートールド・ギャラリー、フィラデルフィアのバーンズ・コレクションが所蔵している。
17日 5月 2017
「灰」は、1894年にエドヴァルド・ムンクによって制作された油彩作品。ムンクは1885年から数年間、人妻ミリー・タウロウとの禁じられた恋愛に陥り、苦しい思いをしていた時期があった。この絵画に描かれている女性はミリー・タウロウに非常によく似ているので、おそらくそのときに苦しみを描いたものだろう。彼女の背景には鬱蒼とした木々が描かれているが、ムンクと彼女は2人はそこで会っていたといわれる。
17日 5月 2017
「憂鬱」は、1891年にエドヴァルド・ムンクによって制作された油彩作品。1891年から1893年にかけてさまざまなバージョンの「憂鬱」シリーズを描いているが、どれも海岸線を背景にして頭に手を置いた憂鬱そうな男が描かれている。 モデルはムンクの友人でクルチャニア・ボヘミアンのメンバーだったジャッペ・ニルセンである。1891年、ニルセンは、クリスチャン・クローグの妻で、ニルソンより10歳上のオーダ・クローグと不倫関係になったといわれる。ムンクは、この不倫関係を自身の過去における不倫関係を反映する形で描いている。憂鬱は波打つ海岸線と左へ伸びていく揺らいだ曇り空などで表現されている。 「憂鬱」は1891年にオスロの「オータム・エキシビジョン」で展示された。美術家で記者のクリスチャン・クローングによればノルウェー人画家による最初の象徴主義作品だという。
17日 5月 2017
「橋の上の少女たち」は、1901年にエドヴァルド・ムンクによって制作された油彩作品。「橋の上の少女たち」のシリーズは、19世紀の終わりから晩年にいたるまで、数多くの異なる絵画や版画バージョンが制作されており、ムンクが生涯関心を持っていた主題の1つである。「叫び」と並んでムンク作品の中でも非常に人気が高いシリーズとみなされている。 詩的なタイトルではあるものの、オースゴールストランの実際の風景をそのままタイトルに付けたものである。この場所は、夏のバカンスにムンクが利用していたオースゴールストランのフィヨルドの風景とそこにあった橋である。おそらく「叫び」の逆方向の風景で、ムンクは港の方向に背を向けて描いている。
12日 5月 2017
ギヨーム・アポリネール(1880年8月26日-1918年11月9日)はフランスの詩人、劇作家、短編作家、小説家、美術批評家。 アポリネールは20性初頭の最も重要な詩人の一人であり、また20世紀初頭の最も重要な前衛美術の批評家とみなされている。彼は熱心なキュビスムやシュルレアリスムの擁護者だった。 美術用語をたくさん作ったことでも知られる。1911年に"キュビズム”という言葉を作り、キュビズム運動を先導する。1917年には作曲家のエリック・サティの作品を描写する言葉として"シュルレアリスム"という言葉を作った。ほかに1912年にオルフィスムという言葉も作っている。

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