【美術解説】遠藤彰子「現代日本の幻想画家」

遠藤彰子 / Akiko Endo

日本の女流幻想画家


「見つめる空」 (1989年)
「見つめる空」 (1989年)

概要


遠藤彰子(1947年10月7日生まれ)は、日本の画家。武蔵野美術短期大学卒業。89年年から500号(約333センチ×約248センチ)の絵画に取り組む。

 

80年代前半の『街』シリーズは、工場、煙突、自転車などの近代産業文明をモチーフにしたエッシャーのような迷宮的空間だが、どこかデ・キリコのようなノスタルジックな郷愁感や質感があり、煙突は古代ギリシア神殿の大理石柱を思い起こされる。

 

代表作は「見つめる空」(1989年)。見上げる空と落ちていく空。世界は迷宮のごとく、ねじれ反転する。また画面全体は円環状となり、自然と視線は全体像をとらえる。中央にはうつむくような男性がひとり。画面の上下の位置関係を喪失することによって、この人物の混沌とした心模様が描かれている。

 

略歴


遠藤彰子は1947年10月7日、東京都中野区で生まれる。父はサラリーマン、母は専業主婦。3つ上の兄が1人いる。赤ちゃんのころから殴り描きのような線でウーウー言いながら嬉しそうに描いていたという。


1968年に武蔵野美術短期大学を卒業。短大のとき、中学校に教育実習で行くと反応がよく、絵画教室を始めることにしたという。教室の場所を貸してくれたのは埼玉県の赤羽幼稚園。徐々に評判は高まり、3年後には月200人ぐらいの絵画教室になったという。


結婚を機に、神奈川県相模原市へ移住。野生動物も多く、まだまだ田舎だった当時の相模原の風景はインスピレーションを得るものが多く、「楽園」シリーズを描くきっかけとなった。


生後8ヶ月の長男が腸重積という病気にかかり、「死」という絶対的な存在を重く実感するようになる。


代表作は「街」シリーズ(1976〜88)。石畳、煙突、電車、重曹する建物など、心象風景としての街を造形。街に住む人間が不安におののきながらも、希望に向かって生きていく姿を描くようになり、「街」という大きなテーマが芽生えていった。1986年に安井賞を受賞。東京に超高層ビルが建ち、繁栄とともに空が無くなっていくような状況と作品の奇妙な閉塞感がかさなり、時代と上手くフィットしたよいう。


1970年、初めてインドを訪れ、大変なショックを受ける。86年には文化庁の派遣で2度目の渡印。生と死、人間の貧富がむきだしのままある姿に大変な衝撃を受ける。この頃からから作風も変化し、「黄昏の笛は鳴る」(1991年)、「HORIZON」(1995年)など、火や水に雲、巨大な生物や植物など、広く自然の姿が力強く描かれるようになる。「人間も自然の一部である」という巨視的な視野をもち、より奥行きと広がりを増し、1000号、1500号の巨大な作品群へと展開されてゆく。

略年譜


■1947年

東京都に生まれる

 

■1968年

武蔵野美術短期大学卒業

 

■1969年

相模原にアトリエを構える

 

■1978年

昭和会展・林武賞受賞《広場》

 

■1985年

〔個展〕「遠藤彰子展 予感に満ちた-心象の世界」(西武アート・フォーラム)

 

■1986年

安井賞展・安井賞受賞《遠い日》

文化庁・文化庁芸術家在外特別派遣(~87年・インド)

 

■1992年

〔個展〕「遠藤彰子展 群れて…棲息する街」(西武アート・フォーラム)

〔挿絵〕朝日新聞日曜版『おはなしおはなし』(全51話)(~93年)文:河合隼雄

 

■1996年

武蔵野美術大学造形学部油絵学科教授就任

 

■2004年

〔個展〕「力強き生命の詩 遠藤彰子展」(府中市美術館)

〔挿絵〕朝日新聞朝刊『讃歌』(全208話)(~05年)文:篠田節子

 

■2007年

平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞〔美術部門〕

 

■2010年

〔挿絵〕毎日新聞『古い土地/新しい土地』(~13年)文:黒井千次

 

■2014年

〔個展〕「遠藤彰子展-魂の深淵をひらく-」(上野の森美術館)

紫綬褒章受章

 

■現在

武蔵野美術大学教授 二紀会委員 女流画家協会委員