【完全解説】ガラ・ダリ「ダリのミューズ」

ガラ・ダリ / Gala Dalí

ダリのミューズ


サルバドール・ダリ「ポルト・リガトの聖母」(1950年)
サルバドール・ダリ「ポルト・リガトの聖母」(1950年)

概要


生年月日 1894年9月7日
死没月日 1982年7月10日
国籍 スペイン
活動 モデル、マネジメント
ムーブメント シュルレアリスム
配偶者

・ポール・エリュアール

・サルバドール・ダリ

ガラ・ダリ(1894年9月7日-1982年7月10日)は、ポール・エリュアールの前妻。サルバドール・ダリの妻。一般的には「ガラ」という愛称で呼ばれている。彼女はミューズとして多くのシュルレアリスム作家や画家に影響を与えた。

 

ガラは、ビジネス的な才能が高く、ダリのエージェント、マネジメントとして活躍。ダリが売れない頃に作品を持ってまわったり、ビジネス全般をすべて管理していた。また編集者としても優れており、ダリの自伝を編集して、ベストセラーにした。

 

ガラはダリの作品のモデルとしてよく登場し、たとえば「ポルトリガトの聖母」のような聖母マリアの役割として描かれる。ダリが描いたガラの絵は非常に愛の深いもので、おそらく、全西洋美術史のなかで最も中年女性への愛を官能的に描いたのはダリぐらいである。

サルバドール・ダリ「レダ・アトミカ」(1947~1949年)
サルバドール・ダリ「レダ・アトミカ」(1947~1949年)
サルバドール・ダリ「クリストファー・コロンブスによるアメリカの発見」(1958-1959年)
サルバドール・ダリ「クリストファー・コロンブスによるアメリカの発見」(1958-1959年)

略歴


ガラは、タタールスタン共和国のカザンの知識階級の家庭で生まれた。本名はエレナ・イヴァノヴナ・ディアコノワ。子ども時代の友人に詩人のマリーナ・ツベターエワがいる。モスクワに住んでいた1915年ごろは、学校の教師をしていたという。

 

1912年に彼女は、肺結核の治療を受けるため、スイスのダボス近くにあるクラヴァーデル療養所に入院する。そのころに詩人のポール・エリュアールと出会いに恋に落ちる。当時二人とも17歳だった。第一世界大戦がはじまると1916年に、彼女はポール・エリュアールと再会するためにロシアからパリへ移住する。一年後に結婚し、翌1918年には2人のあいだに娘が生まれたが、ガラは育児が嫌いだったため、子どもの世話をしなかったという。

 

エリュアールとガラはシュルレアリスム・ムーブメントに巻き込まれ、ガラはエリュアール、ルイス・アラゴン、マックス・エルスント、アンドレ・ブルトンといった多くの画家や詩人にインスピレーションを与えた。

 

しかし、ブルトンはのちに彼女を嫌い、彼女と仲良くなったアーティストに悪影響を与えるその性格を批判。ガラは1924年から27年のあいだ、夫であるエリュアールだけでなくマックス・エルスントとも不倫をしていた。

 

1929年の8月、エリュアールとガラはスペインの若いシュルレアリスム画家のサルバドール・ダリを訪ねる。ガラとダリは10歳以上年が離れていたが、すぐに関係を深める。

 

1929年に同棲をはじめ、1932年にエリュアールと離婚したあと1934年に入籍。しかし親の反対もあって結婚式は挙げていなかった。しかし、ダリと結婚したあともエリュアールとは関係していた。両親がなくなった後、1958年に正式にモントレジックのピレニア村でカトリック形式で結婚式を挙げる。

 

1968年にはガラのためにプボル城を購入。ガラは1971年から1980年までプボル城で毎年夏を過ごすようになる。ダリはガラからプボル城に無断に立ち入ることは許されておらず、事前に手紙でガラから訪問許可を取る必要があったという。

 

ガラは、常に若いアーティストが好きで、性的衝動も強く、晩年になっても彼女の性欲はおさまらなかった。しかし、ダリはカンダウリズムの嗜好を持っていたので(自分の妻の裸体を第三者に晒したり、他人と性行為をするのを見て興奮する性的嗜好)、ガラとの間にトラブルはほとんどなかった。前夫であるポール・エリュアールともずっと関係を維持していたのもダリのカンダウリズム嗜好が根底にあるという。

 

1970年代後半、ガラはアメリカのロックシンガーのジェフ・フェンホルト(以前はジーザス・クライスト・スーパースターのボーカル)と不倫していたという。フェンホルトはアメリカにおけるダリのマネジメントを務めており、ダリの作品をアリス・クーパーに販売もしていた。

 

ガラは1982年6月10日、ポルトリガトで87歳で死去。ダリがガラのために購入したジローナのプボル城に埋葬された。1996年ガラが住んでいたプボル城はガラ・ダリ城美術館として一般公開された。

 

ガラが亡くなるとダリは「自分の人生の舵を失った」と激しく落胆し、プボル城に引きこもるようになり、その翌年を最後に生涯、絵を描くこともなくなった。

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