【完全解説】アイ・ウェイウェイ「中国で最も影響力のある現代美術家」

アイ・ウェイウェイ / Ai Weiwei

中国で最も影響力のある現代美術家


アイ・ウェイウェイ「鳥の巣」(2008年)
アイ・ウェイウェイ「鳥の巣」(2008年)

概要


生年月日 1957年8月28日
国籍 中国
表現媒体 建築、彫刻、インスタレーション
ムーブメント 過剰主義(Excessivism)
代表作 北京国立スタジアム(鳥の巣)

艾 未未(アイ・ウェイウェイ)(1957年8月28日-中国・北京生まれ)は中国の現代美術家、行動家。父方の本当の姓は蔣。彫刻、インスターレション、建築、キュレーティング、写真、映像など表現領域は多岐にわたる。さらに社会評論家、政治評論家、文化批評家としても活動している。

 

一般的には、スイス人建築家ヘルツォーク&ド·ムーロンとのコラボレーションで、2008年の北京オリンピックの主会場である北京国立スタジアム(鳥の巣)の建設の芸術顧問に携わったたことで知られている。

 

政治活動家、社会活動家としても有名で、アイは自由と民主主義の思想の下に中国政府のスタンスを公然と批判している。2008年5月の四川大地震で多くの児童・生徒・学生が校舎の下敷きになり死亡した事件では、被害の全貌が明らかにしない政府に対して、自らのブログを通じて犠牲の実態調査を始めた。

 

2011年4月3日、北京首都国際空港で「脱税容疑」として逮捕され、81日間拘束された。現在も、海外渡航、メディアとの接触を制限されている。

略歴


幼少期


艾の父は中国人詩人の艾青で、母は同じく詩人の高瑛。父は文化大革命における反右派闘争で、中国共産党から非難を浴び、中国共産党から除籍される。1958年、

 

アイが1歳のときに家族は黒竜江省の労働者収容所に送られる。1年半後の1960年に新疆ウイグルの石河子の労働改造所に強制送還され、そこで16年間過ごすことになる。毛沢東が死に、文化大革命が終了すると、1976年に家族は解放され北京に戻ることになった。

 

1978年に艾は北京映像大学に入学し、アニメーションを学ぶ。1978年に前衛芸術集団『星星画会』の創設メンバーの一人となり、马德升、王克平、黄睿、李爽、鍾阿城、曲磊磊ととも活躍する。1983年にこの前衛集団は、中国政府の圧力を受けて解散したが、その後も艾は定期的に『星星画会』のグループ展示『星星:10年』(1989年)や、2007年に北京で開催された回顧展『出発点』などに参加している。

前衛集団「星星画会」(1980年)
前衛集団「星星画会」(1980年)

アメリカ留学


1981年から1993年まで、艾はアメリカに滞在。はじめの数年間はフラでィルフィアやサンフランシスコに住み、ペンシルアニア大学やバークレーで英語を学んだ。のちにニューヨークに移り、パーソンズ美術大学に入学する。

 

また1983年から1986年までアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに在籍し、そこでブルース・ドーフマン、ノックスマーティン、リチャード・プッストゥダートらと活動をする。のちに艾は学校を退学。ストリートで肖像画を描いて生活したり、日雇い仕事をして生活をしていた。この時代、アイはマルセル・デュシャン、アンディ・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズの作品を研究し、レディ・メイドの手法を利用してコンセプチュアル・アートやパフォーマンス・アートを始めるようになる。

 

ニューヨークにいる間、ビート詩人のアレン・ギンズバーグと親友になる。ギレンズバーグは中国を旅行し、中国で有名な詩人である艾の父に会い、その結果として二人の関係は親密になったという。

 

イースト・ビレッジ(1983年から1993年)に滞在中、艾はカメラをいつも携帯して歩き、自分を取り巻く環境を撮影。現在それらの写真は後に選別されて『ニューヨーク写真』として知られている。ドラァグクイーンのように主流から外れた人々や、差別されている人々がよく撮影されている。

 

同時期、艾はブラックジャックカードゲームやアトランタのカジノに熱中しはじめる。『blackjackchamp.com』が発行した記事によれば、現在もギャンブル業界において一流のブラックジャックプレイヤーと見なされている。

アイ・ウェイウェイ「セーフ・セックス」(1986年)。レインコートにコンドームが付いているレディメイド作品。
アイ・ウェイウェイ「セーフ・セックス」(1986年)。レインコートにコンドームが付いているレディメイド作品。

中国に戻る


1993年、父が病気になると艾は中国に戻る。その後、実験的な芸術家の北京イースト・ヴィレッジの設立を助け、中国人キュレーターの馮博一とともに新世代アーティストに関する3冊の本『黒本』(1994年)、『白本』(1995年)、『グレー本』(1997年)を出版。このグループには張洹や馬六明といったパフォーマンスアーティストらが参加し1990年代前半の中国現代美術の焦点になった。

 

1999年に艾は北京北部の草場地へ移り、スタジオを作る。これは彼の最初の建築作品で、この頃から建築に関心を移し始め、2003年には建築スタジオ『フェイク・デザイン』を設立することになる。

 

2000年に上海ヴィエンナーレで、艾は展覧会『不合作方式 ファック・オフ』をキュレーターの馮博一とともに企画。この展覧会は、肉体を酷使するパフォーマンスアーティストのみならず、人間の本物の死体を用いた作品を作るアーティストまでが登場する激しいものであり、中国の現代美術の展覧会で最も有名なものとなった。アイの名前が知れだしたのもこの頃である。

 

艾は同じ芸術家の路清と結婚したが、不倫関係で一人の息子がいた。

アイ・ウェイウェイ「黒本」(1994年)
アイ・ウェイウェイ「黒本」(1994年)
アイ・ウェイウェイ「白本」(1995年)
アイ・ウェイウェイ「白本」(1995年)
アイ・ウェイウェイ「グレー本」(1997年)
アイ・ウェイウェイ「グレー本」(1997年)

アイ・ウェイウェイ「北京」
アイ・ウェイウェイ「北京」

積極的なインターネット活動


2005年にアイは、中国で最も巨大なブログサービス『新浪微博』でブログを始めた。11月19日に初めて記事が投稿された。それから4年間、アイはブログで、中国共産党の政治方針の批判、芸術や建築に関する思想、自伝的な事、厳しい社会的批評などを定期的に投稿して注目を集めた。

 

しかしアイの影響力が強かっため、中国政府は2009年5月28日にアイのブログを強制削除。その後、アイはTwitterに活動場所を変えて、毎日少なくとも8時間はTwitter(@aiww)で意見を主張するようになった。2013年12月31日にTwitterをやめるといっていたが、現在も毎日頻繁にツイートしている。また、現在はTwitterとともにInstagramにも手を伸ばして写真を投稿している。

鳥の卵


艾はスイスの会社ヘルツォーク&ド・ムーロンと共同で、2008年夏のオリンピックの開催に伴う北京国立スタジアムの設計デザインの依頼を受けた。この建築物の通称「鳥の卵」と呼ばれるものである。中国メディアは無視したけれども、艾は反オリンピックの主張を表明していた。

 

2007年夏に、艾は北京オリンピックの開会式演出に起用されたスティーブン・スピルバーグや張芸謀を含め、モラルの判断や芸術家としての責任を果たさずにこのようなイベントに関わることについて非難している。2008年2月にスピルバーグは2008年夏のオリピックの顧問役を降りると発表した。艾はなぜ「鳥の卵」のデザインに参加したのかと尋ねたところ、「私はデザインを愛しているから、それを行なった」と話した。

北京国立スタジアム(2008年)
北京国立スタジアム(2008年)

四川大地震


2008年5月12日にマグニチュード8.0の四川大地震が発生した後、アイはチームを率いて救援に向かいつつ、震災後のさまざまな廃墟地域の状況をビデオ撮影を行なった。また児童・生徒・学生らが校舎の下敷きになり死亡するなど被害の全貌が明らかにしない中国政府に対して、2008年12月15日、艾は自らのブログを通じて犠牲の実態調査を始めることにした。

 

2009年4月14日、5385名の名前が犠牲者リストに追加された。艾は2009年5月に中国当局によって強制削除されたブログ上の膨大な調査資料記事と同じ内容のものを出版した。また北京にあるオフィス『FAKE Design』の壁に犠牲者となった学童の名前リストを掲載した。

 

艾は2009年8月に成都で警官から殴打されて以来、頭痛に悩まされ仕事に集中することが困難になったと話している。9月にはドイツのミュンヘンで入院し、脳内出血と診断され手術を受けた。

アイ・ウェイウェイによる四川大地震ドキュメンタリーフィルム「so sorry(深表遗憾」

ミュンヘンの病院でのアイ・ウェイウェイ。
ミュンヘンの病院でのアイ・ウェイウェイ。

脱税容疑で中国当局から逮捕


2011年4月3日、アイが北京国際空港で香港行きの便に乗ろうとしたところ、出国審査を受けたあとに逮捕され、また彼のスタジオは強制捜査される。

 

約50人の役人や警官が北京・草場地にあるスタジオに入り、周囲に立ち入り禁止線を引いて内部を捜索。デスクトップPCやハードドライブなどが押収され、さらに艾のスタッフ8人と妻の路青が拘束された。その後、警察は艾の2歳の息子の母や不倫相手を訪問。

 

2011年4月6日のニュースによれば、中国当局はアイを脱税の疑惑で調査をするために拘束したという。4月8日、警察はアイの経理関連の資料を調べるために再びスタジオを強制捜査を行った。

 

なお、1月には上海に新設したアトリエが当局に取り壊される事件が起きているが、これは市の政策を批判したことへの報復とみられる。また前年12月には、中国の民主活動家、劉暁波氏のノーベル平和賞授賞式に出席するためノルウェー・オスロに向かおうとした際に出国を阻止されている。

 

拘束後80日間、所在不明のまま中国当局による「居住監視」のもとに置かれる。弁護士との接見は許されず、妻が面会を許されたのは拘禁から42日目にあたる5月15日の1度だけだった。

 

2011年6月22日、中国当局は脱税容疑で3ヶ月近く拘禁していたアイを釈放。国の発表による、アイは「罪を白状する良好な態度」にある状態であり、また税金を返済する意思、慢性的な持病などの理由で保釈したという。ただし、アイは1年間許可なしに北京を離れることを禁じられた。ファンたちは彼の拘留に対して、政府批判に対する報復措置であると広くみなしていた。

 

2011年6月23日、中国政法大学の王裕晋教授は、中国政府のアイの釈放は、脱税に関する確たる証拠を見つけることができなかったのが理由と話している。2011年6月24日、アイはラジオ・フリー・アジアのレポーターに対して、香港のファンたちの応援に感謝し、香港の意識的な社会を褒め称えた。アイはまた中国政府による拘束は地獄だったと述べた。

 

保釈後、アイの妹はアイが一種の精神的拷問にさらされたと説明。2人の警備員が常にアイを見張っていたという。11月に中国当局が再びアイと同僚を調査。今度は公然わいせつ罪の容疑だった。妻の路青が警察に尋問され、保釈金は不明だが数時間後には釈放されたという。

 

2012年1月に、国際芸術雑誌『アート・イン・アメリカ』はアイ・ウェイウェイのインタビュー特集を行う。ニューヨーク在住の中国生まれのライターであるJ.J.カミーユが、前年の9月に北京へ向かい、アイにインタビューを敢行し、「中国で最も有名な反抗的芸術家」という見出しで雑誌に記事を投稿した。

 

2012年6月21日、アイの保釈は解除。北京を離れることを許可されたが、警察はまだ他のさまざまな犯罪容疑のため海外渡航は禁止しているとアイに伝えたという。

 

保釈後、北京のスタジオで会見するアイ・ウェイウェイ。
保釈後、北京のスタジオで会見するアイ・ウェイウェイ。

追徴課税事件


2011年6月27日、釈放後の5日後に北京地方税務局は、アイが経営する北京偽文化開発株式会社に対して未払いの税金、および追徴金あわせて1200万元(約1億5千万円)以上を要求。アイはこれに抗議、当局に巨額脱税の証拠を開示する公聴会を求めた。

 

妻の路青によれば、北京偽文化開発株式会社は2人の弁護士を雇い、また4月に艾未未氏が逮捕された際に会社の会計資料と帳簿はすべて当局に押収されいるため、資料も人(会計)を確認するのに当局に対して公聴会を要求。帳簿など具体的な資料を確認する必要があると述べた。

 

また、追徴金が発表された際、世界中のアイのファンからファンドの申し出があった。2011年11月4日にオンラインでファンド・キャンペーンが開催され、3万件の貸付が発生し、10日で900万元の融資に成功した。なお寄付する際は「8964(1989年6月4日の天安門事件の隠語)」「512(2008年5月12日の四川大地震の隠語」)といった象徴的な数字で行われたという。アイは債権者に感謝し、ファンドしてくれたすべての人々に自らデザインした融資領収書を発行。調達した資金は控訴する際の担保資金として利用されることになった。

 

翌2012年6月にようやく裁判が始まったものの、会社の代表である妻の路青だけが出廷を許可された。

ドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』


2012年にアメリカの映画監督アリソン・クレイマンは、アイのドキュメンタリー映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』を制作。2012年のサンダンス映画祭で審査員特別賞/挑戦の精神賞を受賞。また、2012年4月26日にトロントで開催された北アメリカ最大のドキュメンタリー祭『ホットドックスカナダ国際ドキュメンタリー祭』でも受賞した。

「江南スタイル」のパロディ動画


2012年10月24日、アイは韓国のラッパーPSYの『江南スタイル』のカバーしたパロディ動画をYouTubeに投稿。この動画は中国政府のアイに対する静かな圧力を批判したものだが、すぐに当局に消された。

「ひまわりの種とスツール」事件


2014年4月26日、アイの名前は上海当代美術博物館で開催されたグループ展から取り除かれた。この展示は1998年にウリ・シッグが創設した芸術賞の15周年記念を祝して開催されたもので、中国の現代美術の発展と推進を目的としたものだった。

 

アイは2008年に「生涯貢献賞」を受賞しており、3つの賞の審査員の1人でもあり、またほかの中国現代美術家とともにこのグループ展に参加予定だった。しかし、展覧会が始まる直前になって、壁に絵が書かれた審査委員メンバーや受賞者リストからアイの名前は、美術館のスタッフによって取り除かれてしまった。

 

アイが出品予定だったインスタレーション作品「ひまわりの種とスツール」は展示会場から取り除かれ、美術館の事務室に移動させられていた。なおこの作品は2015年のアート・バーゼル香港のミヅマアートギャラリーのブースで展示されている。

アイ・ウェイウェイ「ひまわりの種とスツール」。写真、エッセイ、ひまわりの種2箱、8つの椅子。
アイ・ウェイウェイ「ひまわりの種とスツール」。写真、エッセイ、ひまわりの種2箱、8つの椅子。

ハンス・ヴァン・ディジェク回顧展事件


2014年5月、北京798地区にある設立された非営利芸術組織のウーレンス現代美術センター(UCCA)は、のちにキュレーターで学者となったハンス・ヴァン・ディジェクを称える回顧展を開催。ハンスの親友であり、中国芸術保管倉庫(CAAW)の共同設立者でもあったアイは、3つの作品でこの展覧会に参加。

 

しかし、オープニングに、アイは中国語版と英語版の両方の展示プレスリリースで自分の名前が削除されているのに気づき、アイのアシスタントが現場にいってアイの展示作品を取り去った。

 

アイは実際に現場で何が起こったのか調べるために、5月23日から25日まで、UCCAの館長であるフィリップ・ティナリ、キュレーターのマリーナ・ブラウナー、チーフの梅学に自ら取材を行い、その取材内容を写しをInstagram上で公開した。チーフの梅学はオープニングにアイの名前がプレスリリースから除去したことを認めた。これは中国当局から彼女に対して逮捕脅迫があったためだという。

■参考資料

Ai Weiwei - Wikipedia