【美術解説】ジョエル=ピーター・ウィトキン「アウトサイド・ファンタジー」

ジョエル=ピーター・ウィトキン / Joel-Peter Witkin

アウトサイド・ファンタジー


概要


ジョエル・ピーター・ウィトキン(1939年9月13日-)はアメリカの写真家。ニューメキシコ州アルバカーキ在住。

 

アウトサイダー、障がいの人たちを被写体に、それらを宗教的なエピソードやクラシック絵画を彷彿させるオブジェや小道具と組み合わせて、暗く薄汚れたセットを背景に、ひとつのイメージにまとめあげる。

 

ウィトキンは個人的な体験から内部に形成されたダークなヴィジョンをダイレクトに視覚化するのではなく、西欧の美術や文学、神話や歴史の基盤にして制作している。特に大きな影響を与えているのは、クリムト、フェリシアン・ロップス、アルフレッド・クービンらに代表される19世紀末の象徴主義である。シュルレアリスムでマン・レイやマックス・エルスントに大きな影響を受けている。

 

撮影技法に関しては初期のダゲレオタイプならびにE・J・ベロック(E. J. Bellocq)の作品から学んでいる。ネガには擦り傷や引っかき傷をつけたり、わずかにセピアがかったソフトなトーンを出すために、印画紙に非常に薄いティッシュのような紙を重ねるといった技巧を施している。

 

1961年から1964年の間のベトナム戦争時に戦場写真家として働き始める。ベトナム戦争終結後、ウィトキンはフリーランスの写真家となり、City Walls Inc.の公式カメラマンとなった。

略歴


ウィトキンは、1939年にニューヨークのブルックリンで生まれた。父親はユダヤ系で母親はカトリックだった。ウィトキンは三つ子の兄弟のひとりとして生まれおり、そのうち無事に生き延びたのは男の兄弟ふたりで、 もうひとりの女の子は流産している。

 

両親は兄弟がまだ幼い頃に離婚。ウィトキン兄弟は母親の厳格なカトリックの環境のなかで育てられた。父親は定期的に養育費を支援するだけだった。

 

ウィトキンは6歳のとき、強烈な出来事に遭遇する。それは、兄弟が母親に手を引かれて教会に向かう途上で起きた3台の車の衝突事故だった。横転した車から小さな女の子の首がウィトキンの足元に転がってきたのだ。彼はかがみ込んでその首に触れ、話しかけようとしたが、その前に誰かに引き離されてしまったという。

 

ウィトキンは16歳のときに初めてカメラを手にし、写真に関する何冊かの本を読み、写真を撮りはじめた。彼が強い関心を示したのは、コニー・アイランドのフリークス・ショーだった。 彼はそのショーに足しげく通い、3本の足を持つ男や小人、両性具有者の写真を撮り、しかもそれだけにとどまらず、最初の性体験の相手としてその両性具有者を選んでもいる。

 

60年代に入り、写真技術者として職を得たウィトキンは、一方でニューヨークにある美術学校クーパー・ユニオンで彫刻を学ぶ。その後、徴兵され、写真班として訓練を受け、アメリカ諸州やヨーロッパを回り、 テキサスの陸軍写真班として兵役を終える。彼の任務のひとつは、訓練中の事故で死亡したり自殺した兵士の肉体を撮影することだった。

 

退役後、ウィトキンはクーパー・ユニオンに戻るが、今度は、東洋の神秘主義や瞑想に熱中し、インドに渡ってヨガを学ぶ。74年に美術の奨学金を受け、ニューメキシコ大学に大学院生として迎えられた彼は、 以後、家族とともにアルバカーキに住み、神秘のベールに包まれた創作活動を続けている。