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【作品解説】グスタフ・クリムト「ベートーヴェン・フリーズ」

ベートーヴェン・フリーズ / Beethovenfries

全長30メートル以上の幻の壁画作品


※1:部分「敵対する勢力」
※1:部分「敵対する勢力」

概要


作者 グスタフ・クリムト
制作年 1901年
メディウム 壁画
サイズ 縦7フィート(約2m)、横幅は112フィート(34m)
コレクション 分離派ビルディング

《ベートーヴェン・フリーズ》は1901年にグスタフ・クリムトによって描かれた壁画作品。縦7フィート(約2m)、横幅は112フィート(34m)もあり、重さは4トン。現在、分離派ビルディングの気温管理ができる地下室で常設展示されている。

 

1901年、オーストリアの作曲家ベートーベンに焦点をあてた第14回ウィーン分離派展示会を開催。《ベートーヴェン・フリーズ》はこの展示会のために描かれたものである。当時ほかに注目浴びた作品はマックス・クリンガーのベートーヴェンの彫刻作品である。

 

作品はベートーヴェン第九交響曲にもとづいており、3つの部分に分かれている「幸福への憧れ」(左の壁)に続き、「敵対する勢力」(中央の壁)、そして「歓喜の歌」(右の壁)が描かれており、それらがホールの3つの壁面の上半分にフリーズ状に連なるよう構成されている。

※2:「幸福への憧れ」(左壁)
※2:「幸福への憧れ」(左壁)
※3:「敵対する勢力」(中央の壁)
※3:「敵対する勢力」(中央の壁)
※4:「歓喜の歌」(右の壁)
※4:「歓喜の歌」(右の壁)
※5:「歓喜の歌」(右の壁)
※5:「歓喜の歌」(右の壁)

本作品が展示されたときは非難を受けた。人物描写は嫌悪を催し、とくに「不貞」「淫欲」「不節制」の暗喩である3人のゴルゴンの娘は嵐のように非難の的となった。

 

さらに絵の中に男根、女陰、精子、卵子などが、ふんだんに描かれていたのも問題だった。ある種の鑑賞者はこれに惹かれたが、大部分の人間は敬遠し、展覧会自体はあまり成功しなかった。

 

クリムトはこの作品で、形態や線や装飾を大幅に自立させるようになり、よりモダニズム的な絵画へと近づいた。

 

また、この作品の楽天的でユートピア的な描写内容、すなわちフリーズ最後の抱擁の図にある、女性による男性の救済というテーマは、なかなか見る側に伝わり難く、醜く描かれた女たちばかりという、外見的な印象が当時残ってしまった。

当時の展覧会カタログの解説文


「このホールの3つの壁面の上半分に、フリーズ状に連なる絵画は、グスタフ・クリムトによる。

 

素材は、カゼイン塗料、着色スタッコ、金メッキ。装飾の原則は、ホールの構造上の制約から、プラスター壁面に装飾を施すもの。3つの壁面の絵は、関連のある内容が順を追って並べられている。

 

入り口に向かい合う第1の長い壁に描かれているのは、幸福への憧れ。弱い人類の苦悩。完全武装した強者に対して行う弱者の懇願、強者の心に浮かぶ同情心と功名心、それに動かされて強者は幸福を求めて戦う決意をする。

 

狭い壁面には、敵対する勢力。怪物テュフェウス、この怪物に対する戦いでは神々さえ無力だった。デュフェウスの娘、すなわち3人のゴルゴーン。肉欲と不貞、不節制、心を責めさいなむ苦悩を象徴している。人間の希望と憧れはこれらを越えて飛び去ってゆく。

 

2番目の長い壁。幸福への憧れは詩情になぐさめを見いだす。芸術は私たちを理想の王国へと導く。その王国でのみ私たちは、純粋な喜び、純粋な幸福、純粋な愛を見つけられる。天使たちのコーラス。『喜び、美しき神々の火花よ』、『この接吻を全世界に』。」

展覧会以後


世間的失敗と根本的主題への集中


ウィーンはこの作品に対して許容しなかった。彼は本作品で国家の援護を失うことになり、その後二度と国から注文を受けることはなかった。分離派の内部でさえ《ベートーヴェン・フリーズ》の不成功により、クリムトに追随するものと批判するものの間で争いが起こった。

 

クリムトは、カール・モル、ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザー、オットー・ヴァーグナーにど忠実な追随者に守られて、分離派を去ることになった。分離派はこの痛手から二度と立ち上がることはできなくなり、分離派の最盛期は過ぎた。

 

世間的な失敗で、彼は社会問題に対して以前ほど反応しなくなり、政治的な出来事にも無関心になりはじめた。1902年、クリムト40歳のときである。しかし、霊的探求は相変わらず熱心で、本作品の世間的失敗のおかけで、彼の根本的な主題である「女」や「エロス」へと集中することになった

 

以後、彼はパトロンを中心とした個人からの注文肖像画に移行して、黄金期を迎えることになり、《マルガレーテ・ストーンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像》1905年、《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》(1907年)、《接吻》(1907-1908年)などの女性画が中心となる。

1896年まで公開されなかった


この作品は、本来展覧会開催中に限る展示だったため、取り壊しが簡単にできるように、簡易な素材で壁に直接描かれていた。展示会終了後に作品は取り壊されず、ある収集家が買い取り、全体を7つの部分に解体して壁から取りはずした。

 

1973年にはオーストリア共和国政府がこの貴重な作品を買い戻し、修復した。1986年まで一度も公開されることはなかったという。

 

それまでのあいだこの作品はクリムトの作品のなかではもっとも知名度が低く、それだけに神秘化されていたものである。クリムト自身はむしろ、ベートーヴェンの最後の交響曲の象徴的書き換えであると言明している。

記念コインとして


フリーズは名声が高く人気だったのでメインモチーフの記念コインも作られ、2004年11月10日に製造された分離派100周年ユーロコインなどが製造され、コインの裏側はフリーズの一部を部分的に拝借している。

 

描かれている3人の人物はフリーズの構図を模倣している。「装甲の強さ」を表す装甲の騎士、勝利の花輪を掲げる「野望」を象徴する女性(後景左)、頭を下げて手を握りしめて「同情」を表す女性(後景右)が描かれている。