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【作品解説】グスタフ・クリムト「ヘレーネ・クリムトの肖像」

ヘレーネ・クリムトの肖像 / The portrait of Helene Klimt

クリムトの姪の6歳のときの姿


《ヘレーネ・クリムトの肖像》1898年
《ヘレーネ・クリムトの肖像》1898年

概要


作者 グスタフ・クリムト
制作年 1898年
メディウム 油彩、厚紙
サイズ 59.7 cm ✕ 49.9 cm
コレクション ベルン美術館

《ヘレーネ・ルイズ・クリムトの肖像》は1898年にグスタフ・クリムトによって制作された油彩作品。59.7 cm ✕ 49.9 cm。スイスのベルン美術館が所蔵している。1903年の分離派展で作品が展示された。

 

ヘレーネ・クリムトはクリムトの姪にあたる。弟エルンストの娘である。弟のエルンストは1891年にヘレーネ・フレーゲと結婚、その年の7月28日にヘレーネが生まれる。しかし翌年1892年にエルンストが急死すると、クリムトは残された母子を預かる身となり、ヘレーネの法律上の保護者となった。

 

絵の構図は耽美主義のホイッスラーの影響を受けていると思われる。また、これまでほのくらい空間を描く情緒豊かな伝統的な表現から離れ、印象派の表現を手本に描いた初期作品に数えられる。

 

クリムトの中では珍しく完全に真横から捉えて描いた作品だが、これはおそらくクリムトがフェルナン・クノップフの作品、たとえば《ジャンヌ・ド・バウアーの肖像》などを研究していたことと関係するだろう。

フェルナン・クノップフ《ジャンヌ・ド・バウアーの肖像》1890年。画像は1000museumsより。
フェルナン・クノップフ《ジャンヌ・ド・バウアーの肖像》1890年。画像は1000museumsより。

衣装は素早い筆致で描かれていることがわかるが、この表現はパステル画の表現方法や印象を油彩に取り入れようとする1895年頃からの試作の成果である。

 

印象主義風に流れるようなタッチで衣装が描かれている一方、少女の顔は全体を覆う白色の画面から浮かびあがったように、また当時としては珍しい短いモダンな髪型ではっきりとした輪郭で表され対比的に表現されている。

 

ウィーン分離派の活動初期にあたるこの時期に、クリムトは、はっきりした輪郭と、柔らかく、ほとんど透明に見える肌や布、水と空気を対比的に見せる表現を発展させた。

 

この作品はヘレーネが6歳のときに描かれたものだが、絵の中のヘレーネはもっと歳上に見える。

 

ちなみに、エルンストの妻の妹がクリムトの愛人のエミーリエ・フレーゲである。未亡人となったエルンストの妻は妹エミーリエが経営するブティックで働いていた。ヘレーネの母親が1935年に亡くなり、2年後にブティックが閉鎖すると、ヘレーネは叔母と一緒に暮らしはじめる。

 

1980年1月5日にヘレーネは死去。


■参考文献

http://www.klimt.com/en/gallery/early-works/klimt-bildnis-helene-klimt-1898.ihtml 2019年1月17日

・『クリムト展 ウィーンと日本 1900』図録、東京都美術館

 

■画像引用

http://www.klimt.com/en/gallery/early-works/klimt-bildnis-helene-klimt-1898.ihtml 2019年1月17日