【完全解説】アウグスト・マッケ「青騎士として活躍した早逝の画家」

アウグスト・マッケ / August Macke

青騎士として活躍した早逝の画家


アウグスト・マッケ「ミュンヘンのトルコカフェ」(1914年)
アウグスト・マッケ「ミュンヘンのトルコカフェ」(1914年)

概要


生年月日 1887年1月3日
死没月日 1914年9月26日
国籍 ドイツ
表現形式 絵画
ムーブメント ドイツ表現主義
関連人物 ワシリー・カンディンスキーフランツ・マルクパウル・クレー
関連サイト WikiArt(作品)

青騎士として活躍


アウグスト・マッケ(1887年1月3日-1914年9月26日)はドイツの画家。ドイツの前衛運動青騎士の創設メンバーの1人

 

アウグスト・マッケは、1887年1月3日、ドイツのヴェストファーレン、メデェで生まれた。父はオウガスト・フリードリヒ・ハーマン・マルケ(1845-1904年)は土建業者で日曜芸術家。母マリア・フローレンス,ニー・アドルフ(1848-1922)はウェストファリアのシュマレンベルクの農家出身だった。

 

アウグストが生まれてすぐに一家はケルンに移る。小学校(1897-1900)に入学して、そこで友人でのちに画家になるハンス・ソナーと出会う。1900年、13歳のとき家族はボンに移り高等学校に入学し、ウォルター・ゲルハルトや彼の妹のエリザベスと知り合いになった。のちにマッケは妹エリザベスと結婚する。

 

マッケの初期芸術作品は父親のドローイングの影響が大きかった。また友人ソナーの父親が集めていた日本の浮世絵や、1900年にバーゼルを訪れた際に見たアーノルド・ベックリンの作品からも大きな影響を受けている。

 

1904年にマッケの父が亡くなり、同年マッケはデュッセルドルフ美術アカデミーに入学。アドルフ・マーンシェンのもとで学んだ。この時期マッケはほかにフリンツ・ヘルムート・エームケの夜間クラスで学んだり、デュッセルドルフ劇場で衣装デザインや舞台デザインなどを行っている。同年、北イタリアやネーデルランド、ベルギー、イギリスを旅行する。

 

その後マッケは、スイスのトゥーン湖での数日の滞在期間や、パリ、イタリア、ネーデルランド、チェニジア旅行をのぞいて、ほとんどの時期をボンで過ごしている。1907年、パリに初めて旅行した際にマッケは印象派の作品を見て感銘を受け、すぐにベルリンに向かい印象派の画家ロヴィス・コリンのもとで数ヶ月学ぶ。

 

1909年にエリザベス・ゲルハルトと結婚。1910年にフランツ・マルクやワシリー・カンディンスキーと出会い、非具象的な美学や神秘性などのちの青騎士の美学を共有し、青騎士に参加してドイツの前衛芸術運動で活躍する。

アウグスト・マッケ「帽子をかぶる妻の肖像」(1909年)
アウグスト・マッケ「帽子をかぶる妻の肖像」(1909年)
アウグスト・マッケ「カンダーンの教会通り」(1911年)
アウグスト・マッケ「カンダーンの教会通り」(1911年)

ロベルト・ドローネーの影響


1912年にパリでロベルト・ドローネーと出会ったことはマッケにとって啓示的であった。ギヨーム・アポリネールから名付けられたドローネーの色鮮やかなキュビスム「オルフィスム」はマッケの芸術に大きな影響を与えた。彼の作品「ショッピング・ウインドウの大きな輝き」はドローネーのオルフィスムの影響が大きい。

アウグスト・マッケ「ショッピング・ウインドウの大きな輝き」(1914年)
アウグスト・マッケ「ショッピング・ウインドウの大きな輝き」(1914年)

チェニジア旅行と戦争


1914年の4月に、パウル・クレー、ルイ・モワイエらとチュニジアへ旅行。チュニジアの風景と鮮烈な色彩はパウル・クレーをはじめ画家たちに強い衝撃を与え、マッケも多大な影響を受ける。この旅行中に代表作に数えられる数十点の作品を残している。

 

1914年8月、第一次世界大戦が勃発するとマッケはシャンパーニュの前線に送られる。同年9月26日、シャンパーニュの前線で戦死した。まだ27歳の若さであった。彼の最後の作品「お別れ」は戦争勃発後の陰鬱なムードを表現した作品となった。また同年に彼の代表作となる「ミュンヘンのトルコカフェ」を制作している。

アウグスト・マッケ「お別れ」(1914年)
アウグスト・マッケ「お別れ」(1914年)

■参考文献

August Macke - Wikipedia 


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