エドヴァルド・ムンク

エドヴァルド・ムンク / Edvard Munch

表現主義に影響を与えた象徴主義の巨匠


エドヴァルド・ムンク「叫び」(1893年)
エドヴァルド・ムンク「叫び」(1893年)

概要


生年月日 1863年12月12日
死没月日 1944年1月23日
国籍 ノルウェー
表現形式 絵画、版画
ムーブメント 象徴主義、表現主義
代表作品

叫び

・マドンナ

・病気の子ども

関連サイト

WikiArt(作品)

The Art Story(略歴)

エドヴァルド・ムンク(1863年12月12日-1944年1月23日)はノルウェーの画家、版画家。19世紀後半の象徴主義の理論に基づいて構築された心理学的な主題を、激しく感情的で表現主義的な画風で描き出す。代表作品は1893年に制作した「叫び」。ムンクの画風は20世紀初頭のドイツ表現主義に多大な影響を与えた。

作品解説


マドンナ
マドンナ
思春期
思春期

概要


幼少期


エドヴァルド・ムンクは、1863年12月12日、スウェーデン=ノルウェー連合王国時代のロッテンにあるアダルバスクの村の農家で、牧師の息子であった父クリスチャン・ムンクと母ローラ・キャサリン・ビョルスタドのあいだに生まれた。

 

父クリスチャンは医者で、1861年に彼の半分ほどの年齢だったローラと結婚した。エドヴァルドには姉ヨハンナ・ソフィーと3人の弟と妹がいた。エドヴァルドは母親から芸術的才能を受け継いでいるように見えた。先祖には画家のヤコブ・ムンクや美術史家のピーター・アンドレアス・ムンクがいた。

 

家族は1864年、父クリスチャンがアーケシュフース城で医療官として勤めるためにクリチャニア(現在のオスロ)へ移ることになる。母ローロは1868年に結核で亡くなり、1877年には姉のヨハンナも結核で亡くなった。母が死んで数ヶ月後、ムンクの兄弟は父親や叔母(母の妹)のカレンに育てられることになった。

 

冬期の大半は病気が流行するため学校は休みになったので、叔母や家庭教師から教育を受けることになった。ムンクの父はムンクに歴史や文学を教え、またエドガー・アラン・ポーの怪奇小説で子どもたちを楽しませた。

 

父クリスチャンの信心深い性格は、ムンクや子どもたちに病的な悲観主義の影を投げかける要因となった。子どもたちを叱るときは異常なほど厳しかった。

 

ムンクは父について「父は神経質で異常なほど宗教的だった。私は父から狂気の遺伝子を受けついだのだろう。恐怖、悲しみ、死の天使は私が生まれたときから身近なものだった。」と話している。父は、死んだ母親が天国から私たちを監視し、不正行為があると嘆いていると伝え厳しく叱ったという。

 

この非常に抑圧的な宗教的環境に加えて、病弱だったムンクの心身問題、そして幼少期から植え付けられたポーの怪奇小説などは、のちのムンクの悪夢や不気味なビジョンを形成する基盤となった。ムンクは死が常に身近なものであると感じていたのはこのためである。

また、ムンクの妹のローラは若い頃から精神疾患と診断された。5人兄弟で結婚したのは弟のアンドレアのみだったが、結婚後すぐに亡くなった。

 

父ムンクが軍医をしていた頃の給料はとても安く家族は非常に貧しかった。ムンクの初期のドローイングは水彩作品では、貧しかった幼少時の部屋の室内が描かれている。10代の頃のムンクは芸術への関心で心が占有されていた。