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【作品解説】フィンセント・ファン・ゴッホ「カラスのいる麦畑」

カラスのいる麦畑 / Wheatfield with Crows

絶望と人生の終焉を表したゴッホ最期の作品


フィンセント・ファン・ゴッホ《カラスのいる麦畑》(1890年)
フィンセント・ファン・ゴッホ《カラスのいる麦畑》(1890年)

概要


作者 フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年 1890年
メディウム 油彩、キャンバス
サイズ 50.2cm × 103cm
コレクション ファン・ゴッホ美術館

《カラスのいる麦畑》は、1890年にフィンセント・ファン・ゴッホによって制作された油彩作品。50.2cm × 103cm。ファン・ゴッホ美術館が所蔵している。一般的にはゴッホの死の最後の一週間のうちに描かれたゴッホの最後の作品と見なされている。

 

本作は接合した2枚の正方形のキャンバス上に、小麦畑の上をただようカラスと曇り空が、ドラマティックに描かれている。激しい風に吹かれて乱れた状態の小麦畑がキャンバスの3分の2を占めている。

 

絵画から漂う孤独感は、どこに続いてるのかわからない中央の道や、どこへ飛来しているのかわからないカラスの存在によって高められている。批評家のキャリスリーン・エリクソンは、《カラスのいる麦畑》から、ゴッホの悲しみや人生の終焉を迎えつつある寂寥感を感じるという。

 

また、赤と緑の対照的な道は、キャリスリーン・エリクソンによれば、永遠の都に到達するまでのとても長い道のりを悲しむ巡礼者の物語である「天路歴程」のメタファーであるという。

 

一般的に鳥やカラスはゴッホ自身を表している。ゴッホは手紙の中で、籠の中の鳥を自分自身にたとえることがあったという。カラスは「死と再生」や「蘇生」の象徴として、ゴッホが以前から利用していたモチーフだった。また、小麦刈りは聖書においてしばしば人の死の象徴として語られており、ゴッホ自身も死のイメージとして好んで小麦畑の主題を描いている。

 

ゴッホ研究家のジュール・ミシュレはカラスについて「カラスはすべてにおいて自身に関心をもち、すべてのことを観察する。現代人よりもずっと自然とともに共生していた古代人にとって、今のように光に頼る余裕がなかった何百という曖昧な時代のなかで、非常に細心で賢明な鳥が向かう方角に従うことは小さな利益ではなかった」と話している。

 

1890年7月10日頃にゴッホはテオとテオの妻であるヨハンナに、手紙でオーヴェルで描いた3つの大きな絵画について説明をしている。2作品は乱れる空の下に広がる小麦畑のスケッチが手紙に含まれており、《曇空の下の小麦畑》と《カラスのいる麦畑》だと思われる。もう1枚は《ドービニーの庭》だと思われている。

 

しかしながら、美術史家たちは明確な歴史的記録が存在していないため、《カラスのいる麦畑》がゴッホの最後の絵かどうかは不確かであるという。手紙によれば《カラスのいる麦畑》は7月10日前後に完成しており、1890年7月14日に完成した《オーヴァーズの町の広場》や《ドービニーの庭》よりも前に描かれたものだとされている。

 

さらに、ヤン・フルスケルは小麦の収穫後の絵である《小麦の山のある畑(F771)》が、収穫前の《カラスのいる麦畑》の後でないと辻褄が合わないと指摘している。

フィンセント・ファン・ゴッホ「小麦の山のある畑」(1890年)
フィンセント・ファン・ゴッホ「小麦の山のある畑」(1890年)