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【アートモデル】ピカソ・モデル「オルガ・コクラヴァ」

オルガ・コクラヴァ / Olga Khokhlova

ピカソ第一夫人


「椅子に座るオルガ」
「椅子に座るオルガ」

概要


生年月日 1891年5月17日
死没月日 1955年2月11日
国籍 ロシア
職業 バレエ・ダンサー

オルガ・コクラヴァ(1891年5月17日-1955年2月11日)はロシアのバレエ・ダンサー、パブロ・ピカソの最初の妻で、有名ポートレイト作品「椅子に座るオルガ」のモデルとしてよく知られている。

 

オルガ・コクラヴァは、ロシア帝国時代のニズフィンで生まれた。オルガはフランスでマダム・スローソンとの演技を鑑賞して、バレリーナになろうと決意。その後、セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団の一員として活躍するようになる。

 

1917年5月18日、ジャン・コクトー脚本、パブロ・ピカソが美術・衣装を担当するロシア・バレエ団が上演した『パラード』で、オルガはピカソと出会う。ピカソと出会ったあと、オルガはバレエ団を去り、南アメリカを旅行し、バルセロナでピカソと暮らしはじめる。

 

ピカソは家族にオルガを紹介すると、ピカソの母はピカソに対して、外国人と結婚することに対して不安を感じるともらしたので、ピカソはオルガをスペインの女として描いた作品『マンティラを着たオルガ』を見せたという。のちに、オルガはピカソとパリへ戻り、ル・ラ・ブティで暮らしはじめた。

「マンティラを着たオルガ」
「マンティラを着たオルガ」

1918年7月12日にアレクサンドル・ネブスキー大聖堂でピカソと結婚式を挙げる。ジャン・コクトーとマックス・ヤコブが彼らの証人となった。結婚後、ピカソは生活費が必要になったため、ユダヤ画商のポール・ローゼンバーグと関係を持ち、真面目に絵の商売を考えはじめる。

 

ローゼンバーグはピカソに好意的だったので、ローゼンバーグ自身がパリでピカソたちが住むためのアパートの家賃を工面した。そのアパートはローゼンバーグの家の隣にあった。ピカソとローゼンバーグは兄弟のような深い関係で、ローゼンバーグはピカソの代理人となり巨万の富を築いた。2人の関係は第2次世界大戦まで続いた。

 

またオルガは、ピカソを上流階級のディナー・パーティへ連れ、1920年代のパリのリッチ層たちに紹介した。ただし、ピカソのもともと自由奔放でボヘミアン的な性格が災いしてか、この上流階級の世界はピカソの肌にはあわず、オルガと衝突を起こしたという。

 

1921年2月4日に、オルガはピカソの長男ポールを出産。そのころからオルガとピカソの関係は亀裂が入りはじめる。1927年にピカソは17歳のフランス人女性マリー・テレーズ・ウォルターに熱を入れはじめる。

 

オルガは友達からマリー・テレーズがピカソの子どもを身ごもっていることを聞くやいなや、息子のポールを連れて家を出て、南フランスで別居する。ピカソに離婚を申請したものの、ピカソは相続問題を理由に離婚を拒否。その後、オルガは1955年にがんで死去するまで別居状態のまま過ごした。

 

■参考文献

Olga Khokhlova - Wikipedia