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【作品解説】ポール・ゴーギャン「死者の霊が見ている」

死者の霊が見ている / Spirit of the Dead Watching

タヒチのオリンピアとして名高い傑作


ポール・ゴーギャン「死者の霊が見ている」(1892年)
ポール・ゴーギャン「死者の霊が見ている」(1892年)

概要


作者 ポール・ゴーギャン
制作年 1892年
メディウム 油彩、キャンバス
サイズ 116.05 cm × 134.62 cm
コレクション オルブライト=ノックス美術館

《死者の霊が見ている》は、1892年にポール・ゴーギャンによって制作された油彩作品。うつ伏せに寝ているタヒチの少女のヌードを描いている。

 

老婆が少女の後ろに座っているのが見えるがこれは死霊である。ゴーギャンは少女が死霊(ツパパウ)を想像しているか、もしくは死霊(ツパパウ)が少女を見つめているか、どちらかの意味でこのタイトルを付けたと考えられている。

 

絵の主題は、タヒチのゴーギャンの愛人で13歳の少女テフラである。

 

ある夜のこと、ゴーギャンが遅く帰宅したとき、彼女は恐怖に怯えて横たわっていたという。

 

「動かず、裸で、ベッドにうつ伏せになり、目は恐怖異常に大きくなっていた。彼女はおそれた目で自分を見つめていた。私の怯えた顔を見て、彼女は私を、タヒチの民族の伝説で眠れない夜を過ごす悪魔や妖怪トゥパパウかを連れてきたように見えたのだろう。私にも彼女のおそれが伝わってきた」と書いている。

 

ゴーギャンはタヒチに来たときに進行性の性病にかかっており、それを島での最初の性的パートナーであるテフラにへうつしたと言われている。

 

タヒチの現地民は伝統的に死霊に対して大きなおそれを抱いていた。そうして、テフラの背後にタヒチの死霊ツパパウをゴーギャンは描いた。

マネの「オリンピア」


ゴーギャンは、1863年のマネの《オリンピア》を賞賛しており、本作品は《オリンピア》の構図を引用しているのは明らかである。

 

1889年の万国博覧会に出品されたこの作品を見て、「かつてあれほどのスキャンダルを巻き起こした《オリンピア》は、まるで美女のようにそこに佇み、少なからぬ好意的な視線を集めている」と批評している。

 

クロード・モネが企画した公募展の資金でマネの未亡人からフランス国が《オランピア》を購入した後、リュクサンブール美術館に展示された機会にゴーギャンは《オリンピア》の4分の3サイズの複製品も制作している。

 

この複製品は、タヒチへの帰還資金を調達するために1895年にゴーギャンがオークションに出品し、エドガー・ドガが230フランで購入している。

 

ゴーギャンが初めてタヒチを訪れた際、マネの《オランピア》の写真を持ち込んだことが知られている。

 

1893年ポール・デュラン=リュエルの展覧会で、未完成の《死者の霊が見ている》が展示されたとき、批評家たちの何人かは《オリンピア》とよく似た構図であると批評をしている。

 

アート誌『La Revue Blanche』創設者のタデ・ナタソンはこの作品を「タヒチのオリンピア」と呼んだ。また、アルフレッド・ジャリは「茶色のオリンピア」と名付けた。

 

また、批評家のなかにはマネの《オリンピア》だけでなく、後背位や少年のような肢体から、17世紀の彫刻作品《眠れるヘルマプロディートス》も引用していると指摘する。両性具有描写は、ポリネシアの世界観を表現していると考えられている。

ゴーギャンによる「オリンピア」の複製作品(1891年)
ゴーギャンによる「オリンピア」の複製作品(1891年)
眠れるヘルマプロディートス
眠れるヘルマプロディートス

"怖れるイブ"シリーズの延長作品


「ブルターニュのイヴ」(1889年0
「ブルターニュのイヴ」(1889年0

美術史家のナンシー・モウェル・マシューズは、この絵は1889年ゴーギャンが描いた"怖れるイブ"シリーズの延長線上にある作品だと指摘している。

 

ゴーギャンは1889年に「ブルターニュのイブ」を制作し、1889年のヴォルフ二展で展示した。

 

この絵画では蛇に恐れている表情のイブを表現し、堕落前の純粋である伝統的なキリスト教の主題を再解釈した。

 

1892年12月8日のに妻メッテに宛てた手紙で「私は裸の少女を描いた。しかし、この構図はでは彼女が卑猥に見える。ただ、私はこの線やポーズは良いと思った。そこで、恐怖をに怯えた顔を描くことで猥褻性を除去した。さらに、少女の感情を表現する必要があったので、背景に死霊を描いた」。

 

のちにゴーギャンの自伝『ノアノア』では、ゴーギャンは最初(メッテへの手紙)、老婆を恐怖の対象にしていたが、実はゴーギャン自身が彼女にとっての恐れの対象であると付け加えている。

 

マシューズは、単純にテフラがタヒチの伝統文化に現れる死霊を怖れていると考えてはいけないという。ゴーギャンに対する怖れが大きいという。

 

ゴーギャンはもともと性的偏見があり、作品を理解するにはゴーギャンの人種差別主義やミソジニー(女性嫌悪)を無視してはならず、テフラが怯えている理由は暴力的なゴーギャンのふるまいであると指摘する。

 

ゴーギャンには妻メッテに対するDV疑惑があったので、少女もまたゴーギャンの暴力に怯えている可能性があると指摘する。

 

ノースウェスタン大学の美術史家教授のスティーブンF.エイゼンマンは、この絵画と内容は「植民地的人種差別と女性嫌悪の大百科である」という。

 

アイゼンマンの本『ゴーギャンの周辺』では、ゴーギャン作品における政治性や性描写に対する従来の見方に異義を唱えたものとなっている。

 

ゴーギャンは『霊』において、マネの『オランピア』)だけでなく、ルーヴルの『両性具有』との類似性を、その少年的な顔立ちと後ろ向きの姿勢の中に見出しているのだ。両性具有の描写は、ポリネシアの宇宙論と、物事の二面性を強調する考え方と一致する。

 

ナオミ・E・マウラーは、この絵画内容は、本来は卑猥な内容であったものをヨーロッパの一般大衆に受け入れやすくするために編集されたものとみなしている。