モートン・バートレット「ミスターバートレットの恋人たち」

モートン・バートレット / Morton Bartlett

ミスターバートレットの恋人たち


概要


モートン・バートレット(1909-1992年、ボストン生まれ)はアメリカのフリーランス写真家、グラフィック・デザイナー。1936年から1963年までに緻密で非常にリアルな石膏少女人形シリーズの制作、その撮影に余暇を費やしていた。

 

バートレットは決して公に自分の作品を公開することはなかったが、ごく小さなサークル仲間や作品を理解してくれる友人にのみ公開していた。1992年に死去して、彼の唯一の財産である作品が売却されたあと、彼の作品は一般の人に知られていくようになった。

 

略歴


モートン・バートレットは1909年1月20日シカゴで生まれた。8歳のときにイリノイ州で孤児となり、マサチューセッツ州の裕福な夫婦ウォーレン・ゴダード・バートレット夫妻に引き取られることになった。

 

モートンはフィリップス・エクセター・アカデミーに入学し、1928年から1929年までの2年間勉強したあと、最高学府であるハーバード大学へ入学する。しかし大学をドロップアウト。退学の理由は不明だが、おそらく世界大恐慌によってもたらされた経済的困難があったとみられ、退学後、バートレットは必死に生活する糧を探していたとおもわれる。その後、バートレットは工芸雑誌の編集やガソリンスタンド、ガス管工事、ギフトカード作成、印刷事業などさまざまな職を点々としていた。こうした中、のちの石膏人形作り基礎となる緻密な技術を養っていった。

 

第二次世界大戦のときバートレットは米軍エンジニアとして働いたあと、フリーランスのグラフィックデザイナー、および写真家として生計を立てるようになる。ほかにボストンの玩具会社やM. Scharfのカタログデザインなども手がけていた。モートンは生涯独身だったけれども、マサチューセッツ州のコハセットに住んでいたときに、彼の向かいに住んでいた女性と婚約予定だったことがあるといわれている。そこで二人は、1940年代後半まで一緒に仕事をしていた。

 

1936年、27歳のときにバートレットは「ドール制作」という個人的な趣味を持ち始める。この趣味は1963年まで27年間続くことになる。この際に制作された15体の人形が一般的にバートレット作品として知られることになる。バートレットは、彫刻制作の美術教育を受けたことはなかったが、持ち前の手先の器用さを武器に、解剖学の本や医学図表を参考にして人形を制作していたようだ。

 

バートレットは、15体の子どもの石膏型の人形を制作しており、そのうちの12体は、思春期前から思春期ごとの少女の人形だった。ほかの3体は少年の人形で、8歳ぐらいの年齢のもの。その少年像は天涯孤独になったときのバートレット自身を反映していると思われる。人形の手、足、首は着脱式になっており、パーツ交換が可能だった。バートレットが人形制作を始めた1936年は、同じく着脱可能の球体関節人形を作り始めたハンス・ベルメールが写真集を出版した年だった。

 

バートレットはそれらの人形をヌードにしたり、バートレット手作りの服を着せて、さまざまなシチュエーションを設定してから写真を撮影していた。その人形作りの細部へののこだわりは彼の強迫観念を如実に表しており、子どもの年齢に応じた身体の特徴を、歯一本にいたるまで正確に再現している。洋服やアクセサリーもすべて手作りだ。

 

バートレット少女人形作りは、一生の間に二度、公に発表している。最初は1957年で、それはハーバード大学の1932年卒業生の25周年同窓会のレポートだった。そこでバートレットは「私の趣味は石膏人形作りだ」と寄稿している。二回目は1962年の4月で『Yankee Magazine』誌が2ページにわたってバートレットの9体の人形が紹介されている。その担当記事のMichael A. TatischeffはThe Sweethearts of Mr. Bartlett(ミスター・バートレットの恋人たち)」というタイトルをつけた。

 

バートレットの人形制作は1963年で終わった。10年以上使用していたボストンのFayette Street15番地にあった彼のスタジオからの移転を余儀なくされたことが人形趣味をやめたきっかけだった。バートレットは新聞に人形を包み、カスタムメイドの木製の箱にそれらをパッキングした。知られている限りでは、ボストンのサウスエンドに移動したあと、バートレットが人形の制作や撮影に二度と取り組むことはなかったという。

 

芸術的評価


バートレットの作品は1993年に古美術商のマリオン・ハリスによって発見され、1995年にマンハッタンで開催されたアウトサイダーアートフェアで、一般的に紹介されることになった。このフェア以来、バートレットの人気が爆発し、多くの人がバートレットの奇妙な人形制作の動機について興味を持ち始めた。

 

ナボコフの小説『ロリータ』に登場する知的ではあるが屈折した自意識に満ちた文学者ハンバート・ハンバートと比較され、ルイス・キャロル、ハンス・ベルメール、エドガー・ドガ、ヘンリー・ダーガーのような幼児性愛者説。

 

また、8歳のときに孤児になったバートレットが、その後も築くことがなかった「失われた家族」を具現化していたといいわれる説で、ジョゼフ・コーネル、マルティン・ラミレスやアドルフ・ウォルフ、ビル・トレイラー、ジェームズ・キャッスルなどのアウトサイダーアーティスト説。

 

ほかには、ハーバード大学出身でボストンのハイクラス出身で職業写真家もあったから、バートレットは、ポール・アウターブリッジ・ジュニア、O.ウィンストン·リンク、Claude Cahunなどの写真家比較し、彼の「セットアップ写真」は、過去40年の現代美術の先駆者であると、現代美術の文脈で論じられることもある。