【美術解説】ミンガリング・マイク「架空のファンク・ソウルミュージシャン」

ミンガリング・マイク / Mingering Mike

すべてダンボール製の自作レコード


概要


ミンガリング・マイクは、1969年から1976年まで“マイク・スティーブンス”という名前でアルバムを制作していた架空のファンク・ソウル系録音ミュージシャン。制作したアルバムはダンボールになっており、ジャケットもさることながらレコードもダンボール紙。彼の作品は法律事務所の調査員ドリ・ハーダーや彼の友人のフランク・ベイルートにフリーマーケットで発見された。

 

1967年、作者17才のときにファーストアルバムとなるLP『Sitting by the Window』を製作して以来、自作のレコードアルバムは、LPが50枚にシングル盤も同数かそれ以上の枚数あって、ほかに8トラテープなどもある。当初はジャケットのみ制作していたようだが、中にレコードがないと壁に立てかけるときに安定感がなかったため、レコードそのものまでを段ボール紙で作るようになったという。 

 

ミンガリング・マイクは、当初、自分の本名や写真をアルバム使わなかったのは、本名や自分の写真をアルバムに使うと、その知名度の高さゆえに仕事ができなくなってしまう恐れがあるからだという。

 

2007年にドリ・ハーダーは、『架空のソウル・スーパースターの驚異的作品』という書籍名でマイクの作品集を出版。またマイクのオリジナルアルバムジャケットは、2005年にキュレーターのデビッド・J・ブラウンにより南東現代美術館で展示され、2007年にはヘミフィル・ファインアーツでも展示された。

 

2013年にはスミソニアン博物館はマイクの作品150点以上を購入。

略歴


ミンガリング・マイクは、子供の頃から絵を描くことが好きだった。早死にした母と行方知れずの父の代わりになって5人兄弟全員の面倒をみた姉の証言によれば、ひとりで空想の世界に遊ぶのが好きな変った子だったという。 


姉の歌声とテレビの歌番組の影響で音楽に興味をもちはじめる。黒人音楽の花舞台であるハワード劇場に勤務していた兄弟のおかげでマイクは無料で劇場に入り浸るようになる。18才で司法省で補佐の仕事についてからはレコード漁りを始める。こうした豊富な音楽知識は、アルバムジャケットを制作するための画力やレイアウトセンスを養うことになった。

 

 

最初は曲のタイトルを思いつき、次にメロディ、歌詞、そしてアルバムのデザインが最後に浮かぶという。そんな順序で形作られていくマイクの架空レコードは、ジャケット絵の自作は言うまでもなく、歌詞カードや詳細ライナーノート、著名芸能人による推薦のことばから、レコードのカタログナンバーや、著作権所有者名からファンクラブの連絡先などまで、モロモロの要素がすべて手書きである。

 

アルバムやシングル盤を制作順に並べてみると、アルバム2枚目がカバー曲集なのをはじめ、他の架空歌手たちと競演したオムニバス盤やライブ盤、インスト盤、チャリティコンサート盤、海外ツアー盤、クリスマスなどを当て込んだシーズンものの企画盤、ブルース・リーへのトリビュート盤などなど、お約束の定番レコード企画が目白押しだ。


なにしろ段ボール製のレコードのため聴くことはできず、メロディそのものを実際に知るには直接本人と会うしかな。マイクの妄想のなかを漂流している歌詞のメッセージには日記風の印象が強く、ベトナム戦争に徴兵されて逃げ回っていた時分の反戦歌などが書かれている。 


1977年には映画界にも進出。監督と主演を同時につとめる多彩ぶりを発揮して9本の映画に出演、サントラ盤も制作された(もちろん、すべて段ボール紙製で、自分の手づくり)。

 

しかしこれらの妄想レコードは、貸し倉庫のオーナーが変更になったときの賃貸料金滞納トラブルがもとで、勝手に売り払われてしまった。それを偶然にフリーマーケットで発見したのがドリ・ハーダーや彼の友人のフランク・ベイルートだった。


あわせて読みたい