清里現代美術館館長 伊藤修吾インタビュー3

-清里現代美術館のユニークさは、ボイスを中心とした現代美術の作家やグループの作品を企画展としてではなく常設で見せていることですね。


伊藤:いつのまにか日本では展覧会をやることが美術館の最大の役割だということになってしまった。でも美術館の基本は常設展示の活動だと思います。来られた方が美術館は楽しい所だと思って頂くことだと思いますし、そのような場を作り上げることが美術館の役割ではないでしょうか。私どもの美術館の場合、面白いのは、美術を専門職としている人よりも一般の人のほうが一生懸命見ている様にも思います。かえって美術系の方は自分の範囲外だと見なくなってしまう。


-ここにはキーンホルツの作品が二点ありますね。日本でキーンホルツを見るのは初めてなんで、とても楽しみにしていたんです。キーンホルツはすごく毒々しいと思っていたのですが、ここにある作品はとてもスマートですね。しかも展示だけではなく資料や関連する書籍などが一緒に置いてあって、観客がじっくりと入り込むような形で見るような構造になっている。


伊藤:展示そのものが見る姿勢を触発する役目もしている。見たいと思う人はさらに見たくなる。見るという姿勢を展示方法を通じてとこどんまで追求しているのがこの美術館の特色でもあるんです。すべて弟のコンセプトで展示されていますから私はいつも見ることの大切さを思い知らされます。展示は芸術を説明するためじゃない。芸術を機能させるためにあるんです


-各作家は基本的に一室を与えられているので、見る人は各々のスペースで作品に集中しながら対峙できるようになっていますね。


伊藤:区切られた空間のなかで見ることによって、作家の姿やメッセージが立ちあがるようになっている。空間を移動するごとに、異なる作家の作品が立ち上がってくる。だからいくらいても楽しめるようになっているんです。


-ここは土地柄、小中学生もたくさんくると思うのですが、子供たちの反応はどうですか。


伊藤:よく子供のための美術展というものがありますが、自分の美術館活動では必要ないのではと思います。子供のためというのは大人が決めたことで、大人が、上に立つものが規制しているだけですから、私たちに大事なのは、子供がいかに楽しめるか、見る力をつけられる状況をいかに作り上げるかということなんだと思います。ここでは小中学校の子供がきたら、必ずアンケートを書いてもらうんです。中学生が「ものも使い方、考え方で芸術になるんですね」と書いている。大人より子供のほうが現代美術の本質を見抜いている。子供はのびのびと、「美術館も芸術だった」「わからないけど楽しかった」「きれいだった」とかこの美術館をいろんな角度から、自分の姿勢で書いている。


-子供のほうがわからないものに好奇心であって、大人になるとわからないと言うことがわかるともう見向きもしなくなる(笑い)。


伊藤:大人になるとわかるものしか見ないという状況に追い込まれたり、わからないものは無意識のうちに差別したりといった生き方になっていく。美術の先生方も見に来るんですが、美術教育の一環として生徒たちを連れて来ようとする先生は意外に少ないですね。なぜかというと、自分がわからないから子供もわからないだろうと勝手に判断してしまう。それは自分の価値観の軸を崩さない、ほかの価値観があることを認めようとしないからです。ものを見るときには自分も崩さないと見えてこない。わからないものが目の前に来たときにわからないと片付けて欲しくないんですね。難しい、わからないけど一生懸命見たとか、そういう姿勢が欲しいんです。わからないものは答えが出ない。でも、そこでわからないと片付けちゃいけない言うことが問われているんですね、今は。わからないものが目の前に出てきたときに自分たちがどういうふうに対処していくかということが、人間の本来あるべき姿ではないでしょうか。大人よりむしろ子供たちの方がは、その意味では素直で優れている。