【美術解説】戦後「ダダ・シュルレリアリスム」の系譜

戦後ダダ・シュルレアリスムの系譜

カウンターカルチャーからパンクムーブメントへ


戦後、「ダダ=シュルレアリスム運動」とよく似たアナロジーで展開された芸術運動として、1960年代後半に巻き起こった「サイケデリック・ムーヴメント」がある。

 

サイケデリック・ムーヴメントとは、幻覚剤LSDがもたらす知覚体験を元にしたサブカルチャー運動である。今でこそサイケデリック・ムーブメントという言葉はアートシーンの側面で語られる事が多いが、本来はサブカルチャー運動であることに注意した。アートシーンとカルチャーシーンを区別する。

 

サイケデリック・ムーブメントが発生した1960年代は東西2つの陣営におる世界の再編ゲーム「冷戦」が激化した時期で、ベトナム戦争の泥沼化による厭世気分から文学グループがまず反戦運動が展開された。

 

薬物使用による幻覚体験に基づくアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズ、オルダス・ハスクリーらの文学に端を発し、それは視覚美術にも波及し、シンプルな造形に鮮やかな色彩を施したヴィジュアルデザインを生みだした。また、同時期にサブカルチャーから派生したロックやパンク音楽におけるビジュアル面で、シュルレアリスムやダダの技法であるコラージュが利用される、

 

ダダイスムもまた第一次世界大戦の厭世気分から既存の社会体制、美術体制に対する抵抗から「無意味さ」「不合理性」「不条理」を強調した詩の朗読や、意味の関連しない写真を貼りあわせて新しいイメージを作り出す「コラージュ」を生み出した。

 

またそのあとに続くシュルレアリスム運動は、初期は自動記述による文学を中心にして始まり、視覚絵画にも波及した。ハーバード大学で薬物の幻覚作用実験を行ったティモシー・リアリーは、薬物による人間の意識変革と社会変革を本気で唱えていたが、ブルトンもまた抑圧された無意識の解放による人間の意識変革を本気で唱えていた。

 

そして、サイケデリック・ムーブメントも含めた60年代のアメリカで反体制を唱える若者たちから生まれた文化の総称は「ヒッピーカルチャー」と呼ばれる。ヒッピーたちは、ティモシー・リアリーの「Turn on,Tune in, Drop Out(意識と感覚を覚醒させ、世界との調和を図り、自己を発見せよ)」という言葉を掲げ、反戦や性の解放などを主張して、既成の社会規範や文化的価値を否定した。

パンクからロウブロウアートへ


ベトナム戦争も集結し、ニューレフトも衰退し、70年代に入ると、ロサンゼルスのヒッピー文化を母体としたアンダーグラウンド・カルチャーが生まれた。さらにアンダーグラウンド・カルチャーを母体にして生まれたのが「ハイブロウ」な芸術に対抗した「ロウブロウ・アート」である。

 

アメリカのアングラ漫画誌『ザップ』誌(日本でいえば『ガロ』のようなもの)で活躍した漫画家ロバート・クラムをはじめ、ロバート・ウィリアムス、ホットロッド、ガレージロックなどにみられる図像やナンセンスで可愛らしいものを題材に非日常的光景に表現した絵画である。

 

これは美術の文脈から1998年に「ポップ・シュルレアリスム」と呼ばれてニューヨークで展示が行われた。サブカルチャーの文脈からは「ロウブロウ・アート」と呼ばれた2つのムーブメントで「呼び方」が異なる(内容はほぼ同じ)点に十分注意したい。

 

サイケデリック・ムーブメントは、ヒッピー文化で生まれたものであったためアートとは距離を置いていたが、ロウブロウアートに影響を受けたマイク・ケリーの登場とともに90年代前半ロサンジェルスのアートシーンに変化が現れた。ケリーは60年代のサイケデリックムーブメントや70年代のロウブロウ・アートを継承し、ドローイング、パフォーマンス、ビデオなど手法を選ばない自由な表現で、アメリカの中流階級が抱える不安や無垢、現代人の深層心理に潜む倒錯や幼児退行などをあらわにした。

 

マイク・ケリーは、アートの文脈からは「ネオ・ポップ」とよばれるものである。ロウブロウではなくファインアートのアーティストであることに注意。村上隆や奈良美智と同じような立ち位置であるといえばわかりやすい。なおネオ・ポップは、ロウブロウ・アートから影響を受けている

 

また、ケリーとともにミシガン大学とカル・アーツで学んだ後、60年代のサイケデリックの意匠やロックの記号を装飾的絵画にしたジム・ショウ、アングラ漫画のモノクロームの画風で大作を描くレイモンド・ペティボン、マネキン彫刻のチャールズ・レイらはアメリカ西海岸特有の芸能産業や移民文化やアンダーグラウンド・シーンをも新たな大衆文化の記号として取り込んだ