【作品解説】ジョルジョ・デ・キリコ「通りの神秘と憂愁」

通りの神秘と憂鬱 / Melancholy and Mystery of a Street

光と闇の狭間を不安げにひた走る少女


ジョルジョ・デ・キリコ《通りの神秘と憂愁》1914年
ジョルジョ・デ・キリコ《通りの神秘と憂愁》1914年

概要


作者 ジョルジュ・デ・キリコ
制作年 1914年 
メディウム キャンバスに油彩
サイズ 87×73cm
所蔵者 個人蔵

少女と影を通してのみ存在が分かる彫像の二人の出会い


《通りの神秘と憂鬱》は1914年にジョルジョ・デ・キリコによって描かれた油彩作品。87×73cm。個人蔵。

 

作品は輪を回して走っている少女と影を通してのみ存在が分かる彫像の二人の出会いを表現している。少女は右の暗い建物の後ろから差し込む光源の方向へ輪を回しながら走っており、左の建物のアーケードは対照的に明るく照らしだされている。

 

地平線まで伸びる黄色に光り輝く道は、光と闇の2つの建物を分離する。少女はひたすらグルグルグルグルと輪を回転させながら、怪しげな影の向こうにある方向へ不安げに進む。

 

画面左側の永遠に続く円形アーケードの明るい壁と少女が回す輪が対応し、また右側の途切れる暗い壁は、奥に見える彫像の影と対応している。手前にあるのは馬車である。

 

この作品は第一次世界大戦が始まった直後の1914年に描かれたものであり、またキリコが従軍する前年に描かれたもので、戦争に対する不安が反映されているように見える。少女はキリコ自身、大きな彫像の影は戦争や死を暗喩していると思われる。

 

「戦争の結果は、おそらくこのような絵のものになる」だろうとキリコはこの絵に関してコメントしている。

トリノのポルチコの街並みから着想


描かれている場所はイタリアのトリノです。当時のトリノの街には、きわめて特徴的な全く同じ長いアーケードの建物「ポルチコ」がたくさんあったという。トリノではポルチコが18 km にわたって伸びており、観光名所となっている。

複数の消失点が違和感を生じさせている


この作品でキリコは意図的に1つの絵画のなかに消失点を複数取り入れている。

 

左側の白い壁のほうの消失点は並列するアーチが続く方向にあるが、右側の黒い建物消失点は手前の馬車の屋根の中心あたりに設定されている。

 

この消失点の違いが非現実的なパラレル空間を生み出す効果を担い、のちのシュルレアリスム運動にも大きな影響を与えた。

形而上絵画運動の始まり


シュルレアリスム運動の前身であるジョルジョ・デ・キリコは、アーケードやレンガの壁に囲まれた街の広場などの虚構空間を意図的に破壊し、謎めいた体験を生み出し、現実に反発した。

 

キリコはドイツの哲学者、特にフリードリヒ・ニーチェに影響を受け、永劫回帰と神話の再演の概念に興味を持つようになった

 

デ・キリコの作品を最初に「形而上学的」と呼んだのはフランスの詩人ギヨーム・アポリネールであり、ジョルジョ・デ・キリコやカルロ・カッラを指導者とする形而上学的芸術運動はここから始まったと言われている。