【写真】フランチェスカ・ウッドマン「早逝のシュルレアル・フォトグラファー」

フランチェスカ・ウッドマン / Francesca Woodman

早逝のシュルレアル・フォトグラファー


概要


生年月日 1958年4月3日
死没月日 1981年1月19日
国籍 アメリカ
表現媒体 写真
ムーブメント 芸術写真
関連サイト Artnet

フランチェスカ・シュテルン・ウッドマン(1958年4月3日-1981年1月19日)はアメリカの写真家。

 

女性モデルまたは自分自身をモデルにしたモノクローム写真が特徴。写真の多くはヌードでぼやけ、周囲の背景と境界性があいまいで融合したような状態で、顔は全体または一部が隠れた状態になっている。

 

ウッドマンは、象徴主義、シュルレアリスム、バロック、ファッション写真の影響を受けており、モロクロームと撮影地の無機質さもあいまって、どこか時代や時間を超越したものとなっている。

 

ウッドマンは異なるさまざまなカメラやフィルム形式を利用しているが、写真の多くは2-1/4✕2-1/4インチの四角の中判カメラを使っていた。少なくとも10000枚のネガを生存中に作成しており、それらは両親は保管している。ウッドマンの作品は両親とロンドンのヴィクトリア・ミロ画廊、ニューヨークのマリアン・グッドマン画廊が管理している。

 

現在、ネガのうち800枚ほどが印刷され、120ほどの作品が一般に流通したり、展示されている。ウッドマンの写真作品の多くは8✕10インチ(20✕25cm)のサイズで小さい。これは「鑑賞者と写真の間に親密な経験を生成するため」のサイズだという。

 

13歳のときから写真を撮り始め、若くから批評家から称賛され、注目を集めていたが、1981年の22歳で投身自殺。

略歴


ウッドマンはコロラド州デンバーで、アーティストのジョージ・ウッドマンとベティ・ウッドマン(旧姓アブラハムス)の間に生まれた。 母はユダヤ人、父はプロテスタントの出身である。兄のチャールズは後に電子美術の准教授になった。

 

ウッドマンは13歳で初めて自画像を撮影し、亡くなるまで写真を撮り続けた。1963年から1971年までコロラド州ボルダーの公立学校に通っていたが、2年生になるまではイタリアに通っていた。

 

1972年にマサチューセッツ州の私立全寮制学校であるアボット・アカデミーで高校に入学。そこでは、彼女は彼女の写真撮影技術につとめ、さらに芸術に興味を持つようにもなった。

 

アボット・アカデミーが1973年にフィリップス・アカデミーと合併したあと、ウッドマンは1975年に公立のボルダー・ハイスクールを卒業。 1975年まで、彼女は家族と一緒に夏をイタリアで過ごした。

 

1975年からロードアイランド州プロビデンスのロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)に通い、1977年から1978年にかけてRISDの優等生プログラムでローマに留学。

 

1977年から1978年にかけて、RISDの優等生プログラムでローマに留学。流暢なイタリア語を話していたため、イタリアの知識人や芸術家と親しくなることができた。

 

1979年にニューヨークに移住。1979年の夏、ワシントン州スタンウッドで過ごした後、ピルチャック・グラス・スクールでボーイフレンドを訪ねる。「写真のキャリアを築くために」ニューヨークに戻る。

 

作品のポートフォリオをファッション写真家に送ってみたが、どこからも返信はなかったという。1980年の夏、彼女はニューハンプシャー州ピーターバラのマクダウェル・コロニーでアーティスト・イン・レジデンスに参加する。

 

1980年後半、ウッドマンは仕事で注目を集めることができなかったことと、壊れた人間関係のためにうつ病になる。1980年秋に自殺未遂を起こしたが、その後はマンハッタンで両親と一緒に暮らしていた。

 

1981年1月19日、ウッドマンは22歳でニューヨークのイーストサイドにあるビルのロフトの窓から飛び降りて自殺。彼女の父親は、ウッドマンの自殺は、全米芸術基金(National Endowment for the Arts)からの資金援助申請が拒否されたことと関係していると示唆している。

 

彼女の写真に対する周囲の反応の鈍さと、壊れた人間関係が、彼女を深いうつ状態に追い込んだ。

作品


写真:1972-1980


ウッドマンはそのキャリアの中で様々なカメラやフィルムフォーマットを使用していたが、彼女の写真のほとんどは中判カメラで撮影されたもので、2-1/4×2-1/4インチ(6x6cm)の正方形のネガが撮影されている。

 

ウッドマンの両親が管理しているウッドマンの財産は800点以上のプリントで構成されているが、2006年の時点では約120点しか公開・展示されていない。

 

ウッドマンのプリントのほとんどは8インチから10インチ(20cmから25cm)以下のもので、「見る者と写真の間に親密な体験を生み出すように働きかけている」という。

映像:1975-1978


RISDではウッドマンはビデオカメラとVTRを借りて、彼女の写真に関連したビデオテープを作成している。自分の裸体を方法論的に白くしたり、胴体を古典的な彫像のイメージと比較した映像を制作している。

 

これらのビデオ作品の一部は、2005年にフィンランドのヘルシンキ市立美術館とマイアミのシスネロス・フォンタナルス美術財団で、2007年から2008年にロンドンのテート・モダンで、そして2011年にはサンフランシスコ近代美術館で上映された。

 

2011-2012年の展覧会では、「フランチェスカ×2」、「彫刻」、「コーナー」、「トレース」、「マスク」と題して、それぞれ23秒から3分15秒の長さのビデオ作品が上映された。

アートブック


ウッドマンは、『評判の肖像』、『Quaderno dei Dettati e dei Temi(口述と作曲のノート)』、『Quaderno』、『Portraits Friends Equasions』、『Angels, Calendar Notebook』など、多くのアートブックを制作している。

 

しかし、生存中にウッドマンが撮影した写真が掲載された本が出版されたのは『Some Disordered Interior Geometries』だけだった。

 

ウッドマンが亡くなる直前の1981年1月に出版されたこの本は、イタリアの幾何学の練習帳から抜き出したページを基にした全24ページの作品でる。ページには16枚の写真が添付され、手書きの文字と白の修正液が加えられている。この本の出版版では紫ピンクの表紙をしているが、内部のページは黒、白、グレーの濃淡のみで印刷されている。

 

1999年、ある評論家は次のように述べている。「独特の奇妙な本...数学の公式、自分自身の写真、そして手書きのメモを書き込んだ、蛇行している、一見狂った迷路のような本だった」。


■参考文献

Wikipedia

TATE