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【美術解説】ハインリヒ・アントン・ミュラー「排泄物を利用して制作した永久運動機関」

ハインリヒ・アントン・ミュラー / Heinrich Anton Müller

排泄物を利用して制作した永久運動機関


『力価なし』,1925から1927年,紙に色鉛筆
『力価なし』,1925から1927年,紙に色鉛筆

発明家から芸術家へ、そして闘病生活へと続く彼の道のりは、特許の失敗から始まり、独自の機械作り、天体への深い興味、そして鮮やかな色鉛筆で描かれる心揺さぶる作品へと繋がります。この記事では、ミュラーの複雑な人生をたどり、彼の内なる世界が生み出した独特の芸術性に光を当てます。

概要


生年月日 1869年1月22日
死没月日 1930日5月10日
国籍 スイス
ムーブメント アウトサイダー・アート

ハインリヒ・アントン・ミュラーは、スイスのヴォー州にあるブドウ農園で働いていました。彼は収穫作業を助けるための革新的な機械を発明しましたが、特許の更新を怠ったため、他の人々にその設計を盗まれ、利益を得ることができませんでした。この出来事は彼を深いうつ状態に陥れ、最終的には精神崩壊を引き起こし、1906年からはミュンジンゲン精神病院で長期の治療が始まりました。

 

病院での治療中、ミュラーは針金、廃材、布切れを使用して異形の機械を作りました。これは彼が永久運動を追求するために作成したもので、独特な構造を持っていました。また、彼は自らの排泄物や体液で溶接するなど、非常に独創的な方法を使っていました。また、ミュラーは、病院の庭に自作の望遠鏡を立て、石やその他の素材で星空を描いたアート作品を制作しました。彼は1912年以前から青と黒の工作用鉛筆と白チョークを使用し、緻密な動物や人物の図を描いていました。

 

1925年には色鉛筆の使用を始め、彼の作品は震える輪郭線と不安を感じさせるグロテスクな構図で、新しい次元を迎えました。ハンス・プリンツホルンは『精神障害者の芸術性』でミュラーのドローイングに触れ、「死んだ少女」という作品における「精神的な表現力」と「自由なグロテスクな遊び」を高く評価しています。

ミュラーと永久機関。
ミュラーと永久機関。

■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Heinrich_Anton_M%C3%BCller、2024年2月1日アクセス

・図録『パラレル・ビジョン』展

 

■協力

・ChatGPT

・Canva