【完全解説】草間彌生「前衛の女王」

草間彌生 / Yayoi Kusama

前衛の女王


概要


生年月日 1929年3月22日
国籍  日本(長野県松本市生まれ)
表現形式 絵画、ドローイング、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス・アート、著述
ムーブメント ポップ・アートミニマリズム、フェミニズム、環境アート
関連人物 ドナルド・ジャッドジョゼフ・コーネルジョージア・オキーフ
関連サイト

公式サイト

Artsy(略歴・作品)

1960sニューヨーク前衛シーンでブレイク


草間彌生(1929年3月22日生まれ)は日本の美術家、作家。絵画、コラージュ、彫刻、パフォーマンス、環境インスタレーションなど幅広いメディアを通じて芸術活動を行っており、その作品の多くは、サイケデリック色と模様の反復で表現される。

 

美術的評価としてはポップ・アートミニマリズムフェミニズムアートムーブメントの先駆とされており、アンディ・ウォーホルやクレス・オルデンバーグに対して直接影響を与えている。

 

草間自身は、コンセプチュアル・アート、フェミニズム、ミニマリズム、シュルレアリスム、アール・ブリュット、ポップ・アート、抽象表現主義、オートマティスム、無意識、性的コンテンツを制作の基盤にしているという。

 

草間は1960年代から1970年代初頭のニューヨークアート・シーンから美術家としての名声を高め始めたことに関しては忘れられがちで、日本を基盤として活躍したアーティストと誤解されることがある。これは大きな間違いで、アメリカに飛び立つ前の草間はまったく無名であり、またニューヨークで世界的に注目を浴びている頃さえも、日本の美術関係者は草間に関心を寄せることはなかった。

 

1960年以前、アメリカに渡る前の草間は、瀧口修造のすすめで1955年に東京のタケミヤ画廊で個展を開催している。1957年に草間はニューヨークに移住する。初期は抽象表現主義運動に影響を受けた作品を制作していた。

 

主要な表現メディアが彫刻とインスターレションに変わり始めたころから、草間はニューヨークの前衛美術シーンで注目されるようになり、1960年代にアンディ・ウォーホルやクレス・オルデンバーグやジョージ・シーガルらとグループ展示を行う。このときに草間は当時のポップ・アートムーブメントに巻き込まれ、美術界から一目置かれる。

 

また、1960年代後半に発生したヒッピー・カウンター・カルチャー・ムーブメントにも巻き込まれ、そこで草間は裸の参加者に水玉のボディペイングを行うハプニング芸術を開催し、一般世間からも注目を浴びるようになった。

1998年のMoMaでの回顧展で再ブレイク


ジョゼフ・コーネルが死去して1973年に日本に帰国した後、体調が悪くなり、草間の活動はニューヨーク時代に比べて保守的になっていく。また、ニューヨークから離れたあと、アメリカでも草間の存在は忘れられていく。

 

作品販売はアートディーラーに任せ、精神的失調のために入退院を繰り返すようになる。帰国直前から取り組み始めたコラージュ作品には当時の草間の心境が封じ込められている。

 

草間は自発的に残りの人生を病院を中心に過ごすことを決める。ここから、彼女はこれまでの美術活動だけでなく、詩集や自伝などの著作活動へのキャリアを進めるようになる。

 

日本からもアメリカからも忘れ去られた草間が、再評価されるきっかけになったのは1989年にニューヨークの国際現代美術センターで開催された『草間彌生回顧展』である。その後、1998年にニューヨーク近代美術館で開催された回顧展『ラブ・フォーエバー:草間彌生 1958〜1968』も草間の再ブレイクに拍車をかけた。

 

1993年にヴェネツィア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展。2012年にはホイットニー美術館とロンドンのテート・モダンなど欧米4都市巡回展がはじまり、さらに草間の人気は再加熱する。2013年中南米、アジア巡回展開始。2015年北欧各国での巡回展開始。 

 

2008年には、ニューヨークのクリスティーズで作品が510万ドルで落札され、現役の女性アーティストでは最高記録の価格となった。2015年にArtsyは彼女を「現役アーティストTop10」の1人に選出した。2016年には『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に日本人で唯一選ばれた。

ポイント


  • 水玉模様の反復絵画で知られる
  • 1960sのニューヨークアートシーンでブレイク
  • 美術史的評価はポップ・アートとミニマリズム
  • カウンターカルチャー運動ではハプニングで注目を集める
  • ジョゼフ・コーネルの死をきっかけに活動停滞
  • 再ブレイクのきっかけはアメリカの回顧展

展覧会情報


2017年の3月22日から5月22日まで、東京・六本木にある国立新美術館で最大級の個展「草間彌生 わが永遠の魂」が開催されている。

 

見どころは2009年から描き続けている大型絵画シリーズ「わが永遠の魂」132点で、これまでの活動の集大成といえる。また、10歳の頃の絵画やニューヨーク滞在時の代表作品やハプニングの様子を収録した映像作品など過去作品も展示される。

 

ほかに、4.5メートルの巨大かぼちゃや白で包まれた空間に鑑賞者が水玉型のシールを貼って空間を消滅させる参加型インスタレーション「オブリタレーションルーム」などがある。

 

■展覧会名

草間彌生 わが永遠の魂

 

■会期

2017年2月22日(水)- 5月22日(月)

 

■休館日

毎週火曜日  ※5月2日(火)は開館

 

■開館時間

10:00 - 18:00 金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)

※4月29日(土)~5月7日(日)は毎日20:00まで開館

 

■会場

国立新美術館 企画展示室1E【東京・六本木】

〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2

http://www.nact.jp/


作品解説


無限の鏡の部屋:ファリスの平原
無限の鏡の部屋:ファリスの平原
ウォーキング・ピース
ウォーキング・ピース

草間彌生の関連人物


ジョージア・オキーフ
ジョージア・オキーフ
ドナルド・ジャッド
ドナルド・ジャッド
瀧口修造
瀧口修造
ジョゼフ・コーネル
ジョゼフ・コーネル

コラム


草間彌生と映像作品
草間彌生と映像作品
草間彌生とファッション
草間彌生とファッション

略歴


幼少期


草間彌生は1929年、長野県の松本の種苗業を営む保守的な家庭に4番目の子として生まれた。近所には広大な花畑が広がっており、草間はその花畑で幼少期を過ごす。花畑をスケッチするのが日課となっていた。

 

やがて草間は視界が水玉や網目に覆われ、動植物が人間の声で話しかけてくる幻覚や幻聴に襲われるようになる。

 

幻覚の恐怖から逃れるために、それらのイメージを紙に描きとめるようになり、その行為が彼女の精神を落ち着かせることになった。

 

草間は幼少の頃に母親から度々身体的虐待を受けて苦しんだと話している。父の放蕩のために母はすぐに激し、家の中は不安定で、草間の精神はいつも追い詰められていたという。

 

小学校卒業後、草間は松本高等女学校に入学する。ここで草間は美術教諭で日本画家の日比野霞径という良き理解者に出会う。日比野は草間の絵を認め、絵の指導をしてくれた。また、草間の両親に草間を絵の道に進めてくれるよう幾度も自宅を訪ね、草間の芸術人生を後押ししてくれた。

 

1948年、19歳で京都市立美術工芸学校の最終過程に編入学し、日本画を学ぶ。しかし、この頃の草間は、日本画における厳しい上下関係から湧き上がってくる内面からのイメージを描きとめることによって恐怖から逃れようとしていた苦しい時期でもあったという。草間によれば京都の時期は「吐き気をもよおすもの」だという。

 

京都から松本に戻ると草間は、京都での伝統的な日本画の苦しい経験から反発するように、技法や素材の壁を越えて、独自の表現方法へと移行していく。

 

草間が水玉模様を描いている初期作品は1939年に10歳のときに描いたドローイングの無題の着物を着た女性画がある。おそらく母親を描いたものと思われる。その作品の裏側には灯篭のようなオブジェに水玉が描かれている。

「無題」1939年
「無題」1939年

若齢期


「発芽」1952年
「発芽」1952年

1952年3月、23歳で初個展を開催。会場は松本市公民館。わずか二日間だったが、200点を超える油彩、水彩、デッサンなどが壁面を埋め尽くした。また、初個展の半年後には、新作展で270点を展示している。

 

初個展で、信州大学の初代神経科教授の西丸四方が訪れる。田舎での美術の個展は珍しいということで興味本位で立ち寄ったものらしい。西丸は会場を埋め尽くす作品群に驚き、草間に関心を持つようになる。

 

同年末、西丸は東京大学医学部で開催された関東精神神経学会で草間についての発表を行う。実際に彼女の作品を数点会場に持ち込み、批評家に観てもらったという。

 

そこで西丸の恩師で当時東大精神医学教室主任教授であった内村祐之の目にとまり、ゴッホ研究や民藝運動でも功績を残した精神科医式場隆三郎にも紹介されることになる。これが東京での個展のきっかけとなった。西丸は草間に、心の安寧を得るために家から離れることを促すなど、その後も長きにわたり、主治医的な立場から草間に助言を続けた。

 

第二回個展では松澤宥、阿部展也らが賛助出品し、美術評論家の瀧口修造が案内状に寄稿している。瀧口は1954年に草間が東京の白木屋百貨店で個展を開催するにあたり、式場隆三郎らとともに推薦文を寄せ、さらに翌1955年には彼が作家人選を任されていたタケミヤ画廊において草間の個展を開催している。

ニューヨークへ移住


1957年11月、27歳のときに日本での閉塞感から逃れて芸術探求に専念したい草間の強い希望によりアメリカへ渡ることになる。まず以前から敬愛し、文通していたジョージア・オキーフを伝手にシアトルに移り、ゾーイ・ドゥーザンヌ画廊で油彩の個展を行う。

 

シアトルに一年ほど滞在したあとニューヨークへ移り、最初はコロンビア大学の近くにあるニューヨーク仏教会などに寄宿。1959年1月までにダウンタウンのアート・シーンに近い東十二丁目に移り、以後はビレッジやチャイナタウン、チェルシー地区あたりに住む。


草間が渡米したころのアート・シーンは、アートの中心がパリからニューヨークに移り変わり、抽象表現主義の第二世代の全盛期の頃だった。また、草間はポロックのアクション・ペインティングに刺激され、まもなく代表作「無限の網」を発表し、注目を浴びるようになる。


「無限の網」はフランク・ステラが自前で購入し、自宅の居間にかけて長く手放さなかったこともあり、美術史的価値が非常に高いものとなった。ステラが購入した「無限の網」は現在はワシントンのナショナル・ギャラリーに収蔵されている。またドナルド・ジャッドは草間の「白の大作」を購入した。またこの頃に、ジョゼフ・コーネルに出会う。

「無限の網 イエロー」1960年 フランク・ステラ所蔵
「無限の網 イエロー」1960年 フランク・ステラ所蔵

「集積」と「強迫観念」


草間が渡米してからの成功は早く、1961年には前衛ムーブメントの代表的なアーティストに成長していた。草間はスタジオをドナルド・ジャッドや彫刻家のエヴァ・ヘッセがいるビルに移す。エヴァとは親しい知り合いとなった。その後、1966年までの数年間の草間は、最も作品の生産的な時期だった。

 

1960年代の草間の代表的なスタイルが「アキュミレーション(集積)」と「オブセッション(脅迫観念)」。ともに「無限の網」の延長線上にある作品である。椅子やソファや台所用品などありとあらゆるオブジェに男根形の布製突起を貼り付けて集積させた「ソフト・スカルプチャー」が代表的な作品である。これらの作品は、作品自体が集積だが、個々の作品が集積されて、環境インスタレーションに発展する表現である。鏡、ライト、音楽などを使って「トータル・アート」と呼ばれるようになる。

 

さらに「トータル・アート」の発展として草間自身が芸術作品となる。草間は自作の服を着て、自作のドローイングに囲まれて制作するようになるが、集積が発展していくと自分自身の身体も作品となって集積されていくわけである。ヌードの草間が男根のソファに横たわる「集積No.2」や「自己消滅」などが有名な作品である。

「アキュミレーションNo.1」1962年 MoMA所蔵
「アキュミレーションNo.1」1962年 MoMA所蔵
「アキュミレーションNo.2」 1966年
「アキュミレーションNo.2」 1966年
「自己消滅」1967年
「自己消滅」1967年

ハプニング


売れっ子だったにも関わらず、この時代の草間は作品の売上からほとんど利益を得ていなかったという。また過労で度々入院することもあり経済的に困難な状況だった。オキーフは草間の経済的困難を食い止めるために、作品を購入したり、オキーフ自身がディーラーとなって草間を助けた。


1967年から1969年の間の草間はハプニングが中心となり、たいてい彼女は水玉模様を身体に塗ってヌード・パフォーマンスを行っていた。ウォール街や国連本部といった保守的な場所で行ったヌード・パフォーマンスは古い世代に大きな衝撃を与えた。


ニューヨークのセントラルパークで「不思議の国のアリス」を題材にしたヌード・パフォーマンス、そしてニューヨーク近代美術館でヌード・パフォーマンスを行った後の1969年8月、米紙デイリー・ニュースは見出しで「これは芸術か?」と問うた。


表現内容はベトナム戦争の抗議活動が中心で、特に有名なのは1968年にニクソン米大統領に宛てた「Open Letter to My Hero Richard M. Nixon」と題する公開書簡である。この中で草間は「暴力を使って暴力を根絶することはできません。優しく、優しくしてください、親愛なるリチャード。あなたの雄々しい闘争心をどうか鎮めてください」と書いている。 


ハプニングは草間だけでなく、複数の人々で構成されている芸術表現である。スタジオ内で「乱交」するものと街頭で裸デモするとに別れ、どちらでも水玉模様のボディ・ペインティングがされている。


ナルシスの庭


1966年に草間は第33回ヴェネチア・ビエンナーレに参加。これは招待作家ではなくゲリラ参加である。出品作品「ナルシスの庭」はプラスティック製のミラーボール1500個をイタリアのパビリオンの外にある芝生に敷き詰めたもので、それらは「キネティック・カーペット」と呼ばれた。


ベネチア・ビエンナーレでの「ナルシスの庭」の展示は、ほぼ草間が強引に設置したものであるが、当局は最初、黙認していた。しかし、彼女が黄金色の着物を着て、その芝生にたち、1個1200リラでミラー・ボールを一個観客に売るという行為は直ちに阻止されてしまった。


草間はでその球体を販売していた。たぶん草間作品の中でも最も悪名高いといわれるこの作品は、美術市場の商品化や機械化への挑発的な批評であり、また同時に草間のヨーロッパにおけるメディアを通じたプロモーション活動戦略の一つだったといえる。

「ナルシスの庭」1966年
「ナルシスの庭」1966年

コーネルの死と帰国後の著述業


1973年親友でパートナーのジョゼフ・コーネルが死去。コーネルの死をきっかけに草間は体調が悪く病気がちだったため、日本へと帰国。体調さえ回復すれば、またニューヨークに戻るつもりだったが、結局東京に活動拠点を置くことにする。

 

1975年に西村画廊で個展を開催。「冥界からの死のメッセージ」と題するコラージュ作品を展示する。翌1976年に大阪フォルム画廊東京店において、個展「生と死への鎮魂に捧げる-オブセッショナルアート展」を開催。ソフト・スカルプチャーやコラージュが展示された。

 

どちらも死を主題として展示で、父親、ジョゼフ・コーネルといった身近な人びとがたくさん亡くなっていき、また草間自身が体調不良の時期であり、強く死生観を意識したものだった。

 

直感的でシュルレアリスィックな小説や短編小説、詩を書くなど著述業を始める。1978年には処女作品「マンハッタン自殺未遂常習犯」を発表した後、1983年には「クリストファー男娼窟」で、第十回野生時代新人賞を受賞。これらの小説には、彼女の幼年期の幻視体験をモチーフにしたものがある。

 

1977年に草間は新宿区にある晴和病院に入院し、最終的には、病院での創作活動が中心となった。ここから草間は著述業と並行するかたちで、さまざまな絵を描き始める。入院生活は、マイナス要素にはならず、逆にその後の草間芸術を発展するための基盤となった。

 

1970年代の草間の絵画スタイルは、キャンバスにハイカラーのアクリル画に変化した。

 

※草間彌生の80年代の著作物例。


再評価と1990s


ニューヨークから離れて、実際には芸術家としては忘れ去られた。草間が再び世界的に注目を集めるようになるのは、1980年代後半や1990年代から始まる回顧展からである。草間は再び芸術家として活発に活動を始める。著述から絵画に戻り、以前の作品に近づいていく。

 

1989年にニューヨークの国際現代美術センターで開催された『草間彌生回顧展』がきっかけでアメリカの美術関係者を中心に最注目が始まる。この年に日本人として初めて「アート・イン・アメリカ」の表紙絵を飾ったことも大きい。

 

1993年には第45回ヴィネツィア・ビエンナーレの日本館から参加して成功。このときは小さなカボチャが敷き詰められた「無限の鏡の部屋:かぼちゃ」を展示し、草間は鏡の部屋に入り、魔術師スタイルの格好をして、カボチャの彫刻を作っていた。カボチャは彼女の自画像であり変身願望の1つであるという。カボチャはその後、草間の一種のトレードマークとなった。

 

また、1998年にニューヨーク近代美術館で開催された回顧展『ラブ・フォーエバー:草間彌生 1958〜1968』で草間の再ブレイクに拍車をかけた。

 

1993年第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ「鏡の部屋:かぼちゃ」
1993年第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ「鏡の部屋:かぼちゃ」

2000sから現在


草間が2000年から2008年にかけて制作したインスタレーション作品「ここにいるが、いない」はイスとテーブルが設置されたシンプルな家具の部屋だが、 壁にはUV光で輝く何百もの水玉蛍光が装飾されている。結果として無限の空間が広がっているように見え、部屋の中に設置されているものは消滅しているように見える。

 

「新しい空間の案内」は、赤と白の水玉模様のオブジェのシリーズ「塊」はフロリダ州パンデイナス湖に設置されている。草間の最も有名な作品である「ナルシスの庭」は、世界のさまざまな場所にあり、2000年にフランスのディジョンにあるル・コンソーシアム、2003年にドイツのブラウンシュバイクにあるクンストヴェリン、2004年にニューヨークのホイットニー・ビエンナーレの一部として、2010年にパリのチュイルリー庭園に設置されている。

 

2017年にはワシントンD.Cにあるハーシュホーン博物館と彫刻の庭で、50年に及ぶ活動の回顧展が開催され、この展覧会で約20ある『永遠の鏡の部屋』のうち6つが展示されるのが目玉で、アメリカとカナダの5つの美術館を巡回する。

「ナルシスの庭」2008年 ブラジル Instituto Inhotim
「ナルシスの庭」2008年 ブラジル Instituto Inhotim

アートマーケット


1960年代、ベアトリス・ペリーズ・グレス・ギャラリーは、アメリカでの草間のキャリア生成に重要な役割を演じた。草間と長い付き合いのある東京の画商オータファインアーツは、1980年代から草間を扱っている。

 

2000年代初頭から草間はヴィクトリア・ミロ・ギャラリーと契約している。その後にロバート・ミラー・ギャラリー、次いでガゴシアン・ギャラリーと契約。2012年に草間はガゴシアン・ギャラリーから離れ、2013年にデビッド・ズワイナー・ギャラリーと契約を結んだ。現在はデビッド・ズワイナー・ギャラリー、オータファインアーツ、ヴィクトリア・ミロ・ギャラリーと契約している。

 

草間の作品はオークションで強く値動きする。特に1950年代後半から1960年代の絵画作品は高価格をマークし、草間作品は現役の女性アーティストでは世界で最も高額である。2008年11月にクリスティーズ・ニューヨークは、ドナルド・ジャッドが所有していたことで知られる1959年制作の絵画『無限の網』シリーズの『No.2』を出品し、510万ドルで落札された。当時の現役叙せー雅代ぅsとで最高価格だった。

 

サザビーズ香港は、2015年10月のオークションで『No. Red B』を出品。約606万ドルで落札された。最も高額の落札作品は、2014年11月にクリスティーズ・ニューヨークで出品された『White No.28』で約710万ドルで楽札された。

略年譜


■1929年

・3月22日、長野県松本市の種苗業を営む旧家に生まれる。父・嘉門、母・茂。姉1人、兄2人。

 

■1935年

・松本市立鎌田小学校に入学。

 

■1939年

・精神的に不安定な母親から虐待を受ける。幼少期から幻覚や幻聴を体験。この頃から水玉や網模様を描き始める。母をモデルにした「無題」を制作

 

■1941年

・長野県立松本高等女学校入学。

・日本画家の日比野霞径に学ぶ。

 

■1945年

・「第一回全信州美術展覧会」に入選。

 

■1946年

・「第二回全信州美術展覧会」に入選。 

 

■1948年

・京都市立美術工芸学校(4年最終過程に編入)で日本画を学ぶ。

 

■1949年

・松本に戻る。

 

■1952年

・3月、松本市第一公民館で初個展「草間彌生 個展」を開催。約250点の作品を発表。信州大学の精神科医の西丸四方が訪れる。

・10月に同会場で二回目の個展「草間彌生 新作個展」が開催。。約280点を出品。

 

■1954年

・2月、「草間彌生作品展」日本橋白木屋美術部で開催。個展に出品されていた「芽」が美術雑誌『みづゑ』5月号の表紙に採用。

・8月、「草間彌生作品展」美松書房画廊(東京)

 

■1955年

・1月、「草間彌生展」タケミヤ画廊(東京)。瀧口修造が企画。

・3月、「草間彌生 作品展」求龍堂画廊(東京)作家の川端康成が作品を購入。

・5月、「第18回国際水彩画展ビエンナーレ」ブルックリン美術館(ニューヨーク)

・アメリカの画家、ジョージア・オキーフに手紙を書き、文通が始まる

 

■1957年

11月、単身渡米。シアトルに滞在し、12月にアメリカでの初めての個展をゾーイ・ドゥザンヌ画廊で開催。

 

■1958年

・6月、ニューヨークに移る。

 

■1959年

・10月、ニューヨークのブラタ画廊で初個展。「無限の網」など5点のネット・ペインティングを発表。ドナルド・ジャッドが作品を購入。

・11月、「草間彌生 新作絵画」ノヴァ・ギャラリー(ボストン)

 

■1960年

・3月、レヴァークーゼン市立美術館の「モノクローム絵画」展でヨーロッパで初めて草間作品が紹介。

・4月、「草間彌生展」グレス・ギャラリー(ワシントンD.C)

 

■1961年

・5月、「草間彌生 新作展」ステファン・ラディッチ・ギャラリー(ニューヨーク)

・9月、ニューヨーク東19丁目53に転居。下の階はドナルド・ジャッドのスタジオ。

・11月、「草間彌生 水彩画展」グレス・ギャラリー(ワシントンD.C)

・フランク・ステラが草間の「無限の網」を購入。

 

■1962年

・この頃から性や食をテーマにし、布を用いたソフト・スカルプチャー作品を発表。

・3月、「ヌル展」オランダ・アムステルダム市立美術館。

・3月、「草間彌生 個展」ロバート・ハナムラ・ギャラリー(シカゴ)

・11月、ジョセフ・コーネルと出会う。

 

■1963年

・9月、アメリカ永住権を獲得

・12月、「集合-1000艘のボートショー」ガートルード・スタイン・ギャラリー(ニューヨーク

 

■1964年

・この頃から電飾や鏡を用いた彫刻作品、エンバイロメンタル(空間表現)の作品を手がける。

・3月、「ザ・ニュー・アート」デヴィソンアートセンター、ウェズレアン大学(コネチカット州)

・4月、「草間彌生 ドライビング・イメージ・ショウ」リチャード・カステラー二・ギャラリー(ニューヨーク)

 

■1965年

・鏡を用いた環境彫刻や空間的な表現を展開。

・5月、「草間彌生 個展」ギャラリー・オレズ(デン・ハーグ)

・11月、「フロア・ショー」リチャード・カステラーニ・ギャラリー。「鏡の部屋」を発表。

 

■1966年

・1月、「草間彌生 ドライビング・イメージ・ショウ」ナビリオ・ギャラリー(ミラノ)

・3月、「草間のピープ・ショー」リチャード・カステラーニ・ギャラリー(ニューヨーク)。電飾彫刻を発表。

・4月、「草間彌生 ドライビング・イメージ・ショウ」M・E・テレン・ギャラリー(エッセン、西ドイツ)

・6月、第33回ヴィネツィア・ビエンナーレにゲリラ参加。「ナルシスの庭」を展示。

 ・夏、「草間彌生 個展」クライスラー美術館(プロヴィンスタウン)

 

■1967年

・6月、ハプニング「自己消滅-音響・映像・照明のパフォーマンス」ブラックゲート劇場(ニューヨーク)

・7月、ハプニング「草間彌生の自己消滅 ホース・プレイ」ウッドストック(ニューヨーク)

・ハプニング「ボディ・フェスティバル」トンプキンス広場/ワシントン広場(ニューヨーク)。毎週開催。

・ハプニング「ボディ・フェスティバル」クライスラー美術館(プロヴァンスタウン、アメリカ)

 

・11月、オランダでの個展でのオープニングでハプニング「ボディ・フェスティバル」を行う。

 

■1968年

・映画『草間の自己消滅』が第四回ベルギー国際短編映画祭で入賞。そのほかの映画祭でも受賞する。

・自作映画「フラワー・オージー」「ホモ・セクシャル・オージー」を制作。

・6月、「草間彌生展」ミッケリー・ギャラリー(ルーネルスロート、オランダ)

・7月、ハプニング「人体炸裂」、ウォール街のニューヨーク証券取引所前、ワシントン銅像前、セントラル・パークの不思議の国のアリス像前(ニューヨーク)

・ハプニング「第4回人体炸裂」国連本部前(ニューヨーク)

・8月、クサマ・エンタープライズを設立。

・10月、「草間彌生展」リヒター・ギャラリー(フランクフルト)

・ニューヨーク選挙委員会本部前でパフォーマンス。「リチャード・M・ニクソンへの公開質問状」を発表。

・ハプニング「ホモ・セクシャル・ウェデング」ウォーカー通り(ニューヨーク)

・TV番組「ザ・アラン・バーグ・ショー」に出演。パフォーマンスを行う。

・ミュージカル「俺たちに明日はない」の脚本を書き、スタジオで上演。

 

■1969年

・ハプニング「バスト・アウト」セントラル・パーク(ニューヨーク)

・4月、ニューヨークにファッション・ブティックをオープン。

・8月、ハプニング「MoMAで死者を目覚めさせるためのグランド・オージー」Moma彫刻庭園(ニューヨーク)

・11月、隔週刊誌「クサマ・オージー」創刊。

 

■1970年

・日本に一時帰国。

・築地でヌード・ハプニング。警察に拘束される。

 

■1971年

・映画「草間の自己消滅」が第一回ニューヨーク・エロティック・フィルム・フェスティバルで上映。

 

■1972年

・ニューヨークに戻る。

・ジョゼフ・コーネル死去。

 

■1973年

・帰国、活動拠点を東京に移す。

・コラージュ作品を制作し始める。

 

■1974年

・父・嘉門死去。

 

■1975年

・11月、「わが魂の遍歴と闘い」を「芸術生活」11月号に発表。

・12月、帰国後初の個展「草間彌生展 冥界からの死のメッセージ」西村画廊(東京)。コラージュ作品を発表。

 

■1976年

・8月、「草間彌生 生と死への鎮魂にささげる-オブセッショナルアート展」大阪フォルム画廊東京店。

 

■1977年

・世耕政隆、玉置正敏との共著、詩画集『7』刊行。

 

■1978年

・3月、初の小説「マンハッタン自殺未遂常習犯」(工作舎)を刊行。

・10月、「草間彌生展」松本商工会館(長野)

 

■1979年

・版画の制作を始める。

・11月、「草間彌生 新作展」井上四階画廊(松本)

 

■1980年

・5月、「草間彌生 未発表作品展 草を燃やす閃光」アメリカン・センター(東京)

・7月、「草間彌生のセルフ・オブリタレイション-網と水玉による消滅」ギャラリートーシン(東京)

・8月、「草間彌生の明暗の沼よりの飛翔」ながの東急百貨店(長野)

・11月、「草間彌生展 網と水玉によるインフィニティ・レペティション」ギャラリートーシン(東京)

 

■1981年

・2月、「草間彌生のパズルアート展」渋谷西武美術画廊(東京)

 

■1982年

・3月、「草間彌生展 オブセッション」フジテレビギャラリー(東京)

・5月、「草間彌生のボックス・アート展」ギャラリー雲(東京)

・12月、「草間彌生展」ナビリオ・ギャラリー(ミラノ)

 

■1983年

・2月、「草間彌生展 増殖する部屋 魂のふれあいを求めて」ジャルダン・ド・ルセーヌ/サプリメントギャラリー(東京)

・6月、「草間彌生 1950-1970」オルニス・ギャラリー(デン・ハーグ)

・小説「クリストファー男娼窟」(角川書店)で第十回野性時代新人文学賞を受賞。

 

■1984年

・4月、「草間彌生展」フジテレビギャラリー(東京)

・母・茂死去。

 

■1985年

・パフォーマンス「婆娑羅の花」九品仏浄真寺(東京)

・5月、小説「聖マルクス教会炎上」(PARCO出版)を発表。

 ・10月、「日本現代絵画」ニューデリー国立近代美術館

 

■1986年

・3月、「草間彌生 版画展」玉川高島屋(東京)

・6月、「草間彌生展 Infinity Explosion」フジテレビギャラリー(東京)

・10月、「草間彌生展」クリスチャン・シュノー・ギャラリー(パリ)

・12月、「草間彌生展」カレー美術館(フランス)

・作品集『草間彌生 ドライヴィング・イメージ』(パルコ出版)刊行。

 

■1987年

・3月、北九州市立美術館で国内初の回顧展「草間彌生展」を開催。

・3月、「草間彌生展」ドール市美術館(フランス)

 

■1988年

・5月、小説「天と地の間」(而立書房)刊行。

・6月、「草間彌生展 魂を燃やす閃光」フジテレビギャラリー(東京)/箱根彫刻の森美術館(7月)。

・小説『天と地の間』(而立書房)、『ウッドストック陰茎斬り』(ペヨトル工房)刊行。

 

■1989年

・9月、ニューヨークの国際現代美術センターで回顧展「草間彌生展」を開催。草間が世界的に再評価されるきっかけとなった回顧展

・日本人として初めて「アート・イン・アメリカ」誌の表紙を飾る。

・11月、「草間彌生 魂を燃やす閃光」オックスフォード近代美術館。

・12月、「草間彌生展 魂を燃やす閃光」Bunkamura Gallery(東京)

・小説『傷みのシャンデリア』(ペヨトル工房)、『心中櫻ヵ塚』(而立書房)刊行。『クリストファー男娼窟』(而立書房)復刊。

 

■1990年

・小説『ケープ・コッドの天使たち』(而立書房)刊行。 

 

■1991年

・パフォーマンス「自己消滅」銀座ソニービル前

・6月、「草間彌生展 天と地の間」フジテレビギャラリー(東京)

・村上龍原作・監督映画『トパーズ』に占い師役として登場。

・12月、村上龍原作・監督の映画「トパーズ」で占い師役で出演。

・「草間彌生のコラージュ 1952ー83」、なびす画廊(東京)

・「草間彌生展」、MOMAコンテンポラリー(福岡)

・「The 2nd Tokyo Art Expo 1991」、東京国際見本市会場(晴海)

・「草間彌生展」、Bunkamura Gallery(東京)

 

■1992年

・小説「沼に迷いて」(而立書房)刊行。

・「草間彌生展」、Bunkamura Gallery(東京)

・「草間彌生展」、はじける宇宙 草月美術館(東京)、新潟市美術館

 

■1993年

・6月、第45回ヴィネツィア・ビエンナーレで日本館代表として初個展を開催。

・同月、小説「ニューヨーク物語」(而立書房)刊行。

 

■1994年

・4月、「草間彌生展 信州が生んだインターナショナル・アーティスト」長野県信濃美術館

・5月、小説「蟻の精神病院」(而立書房)刊行。

・5月、「草間彌生展 我ひとり逝く」フジテレビギャラリー(東京)

・6月、「草間彌生展」カルダッツォ・ギャラリー(ヴェネツィア)

・9月、ベネッセアートハウス直島に「南瓜」を展示。野外彫刻をスタートする。

・11月、「1950年代から60年代における空間と光の無限性」コルゲート大学ピッカー美術館(ニューヨーク)

・「草間彌生展」、駒ヶ根高原美術館(長野)

・戦後日本の前衛美術」、横浜美術館(神奈川)/

 

■1995年

・7月、「草間彌生:自殺した私-1950年代から現在までのペーパーワーク60点」オオタファインアーツ(東京)

・7月、「草間彌生 新作版画展」フジテレビギャラリー(東京)

 

■1996年

・5月「草間彌生 1950年代と1960年代」ポーラ・クーパー・ギャラリー(ニューヨーク)

・5月、「草間彌生の絵画」オオタファインアーツ

・9月、「草間彌生 新作展」ロバート・ミラー・ギャラリー(ニューヨーク)

・「草間彌生、我が青春の展望」、MOMAコンテンポラリー(福岡)

・10月、マットレスファクトリー(ピッツバーグ)で初のバルーンインスタレーション「水玉強迫」を出品。

 

■1997年

・1月、「草間彌生展」Bamgarther Gallery(ワシントンD.C)

・7月、「草間彌生 クサマズ・クサマ」オオタファインアーツ

・9月、「草間彌生展」マーゴ・レビンギャラリー(ニューヨーク)

 

■1998年

・3月、ロサンゼルスのカウンティ美術館で個展「ラブ・フォーエバー:草間彌生1958-1968」、ニューヨーク近代美術館、ミネアポリスのウォーカー・アートセンターを巡回。

・6月、「草間彌生の現在」ロバート・ミラー・ギャラリー(ニューヨーク)

・6月、「1998 台北ビエンナーレ:欲望場域」台北市立美術館(台北)

・7月、小説「すみれ強迫」(作品社)刊行。

・10月、第24回サンパウロ・ビエンナーレ

・11月、「草間彌生展」ビクトリア・ミロ・ギャラリー(ロンドン)r

 

■1999年

・4月、東京都現代美術館で個展「草間彌生 ニューヨーク/東京」を開催。

・同月、小説「ニューヨーク69」(作品社)刊行。

 

■2000年

・1月、「草間彌生展」サーペンタイン・ギャラリー(ロンドン)

・霧島アートの森に野外彫刻「シャングリラの華」を制作。

・3月、第五十回芸術選奨文部大臣賞(文化庁)受賞。

・5月、「リチャード・カステラーニ・コレクションの草間彌生初期素描」プリンストン大学美術館(ニュージャージー)

・5月、シドニー・ビエンナーレに参加。

・7月、外務大臣賞受賞。

・11月「草間彌生展」コンソルシウム(ディジョン)/パリ日本文化会館(01年)/オーデンセ美術館(01年)/レザバトア美術館(01年)/クンストハーレー・ウィーン(02年)/アートソンジェ・センター(03年) 

 

■2001年

・1月、第71回朝日賞(朝日新聞文化財団)受賞。

・9月、横浜トリエンナーレ2001に参加。

 

■2002年

・2月、「草間彌生 地球の孤独」ロバート・ミラー・ギャラリー(ニューヨーク)

・4月、初の自伝「無限の網」(作品社)刊行

・同月、松本市美術館開館記念展「草間彌生 魂のおきどころ」。

・8月、松本市美術館にて草間作品の常設展が開設。

・9月、アジア・パシフィック・トリエンナーレに参加。

・同月、「水玉の楽園 草間彌生展」霧島アートの森(鹿児島)

・12月、「草間彌生展」バス美術館(マイアミ)

 

■2003年

・3月、フランス芸術文化勲章オフィシエを受勲。

・6月、「草間彌生展 Labyrinth-迷宮の彼方に」丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(香川)

・7月、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」に参加。

・11月、「草間彌生展」ブラウンシュバイク美術館/ザへンタ国立美術館

・フランス芸術文化勲章オフィシェ受賞

・12月、長野県知事表彰(学術芸術文化功労)受賞。

 

■2004年

・2月、「クサマトリックス」(東京・森美術館)

・3月、ホイットニー・バイアニュアル2004(ニューヨーク)

・6月、個展「クサマトリックス」(北海道・芸術の森美術館)

・10〜12月、個展「草間彌生 永遠の現在」(東京国立近代美術館)

 

■2005年

・1〜2月、「草間彌生 永遠の現在」(京都国立近代美術館)。

・7〜10月、「草間彌生 魂のおきどころ」(長野・松本市美術館)。

・9〜11月、「第3回 バレンシア・ビエンナーレ(スペイン・バレンシア)に参加。

 

■2006年

・2月、「草間彌生展」佐喜真美術館(沖縄)

・2月、ライフタイムアチーブメント賞(芸術部門)受賞。「島根県立石見美術館コレクション草間彌生展」島根県立石見美術館

・3月、「開館記念 草間彌生展 YAYOI in FOREVER」フォーエバー現代美術館ギャラリー(秋田)

・9〜11月、シンガポール・ビエンナーレ2006に参加。

・10月、直島スタンダード展で中に入ることができる初の野外彫刻「赤かぼちゃ」を制作。

・10月、第18回高松宮殿下記念世界文化賞「絵画部門」を受賞。

 

■2007年

・2〜5月、「草間彌生展 水玉強迫-水玉になった愛」をハウス・ダ・クンスト(ミュンヘン)、その後9〜11月、WIELS(ブリュッセル)、翌年、7〜8月、ラ・グラン・ダール(パリ)に巡回。

・9月、ビバリーガーデンズパーク(ロサンゼルス)で野外彫刻「人生賛歌・チューリップ」

・安養市(韓国)に「ハロー・アニャンウィズラブ」を制作。

・10月、「Dots Obsession-Soul of Pumpkin」ハーバー・シティ(香港)。「草間彌生の世界 初期油彩画の代表作から近作まで」静岡県立美術館(静岡)

 

■2008年

・ドキュメンタリー映画「草間彌生 わたし大好き」が公開。

・1月、「草間彌生展 水玉強迫-水玉になった愛」ラ・ヴィレット公園内ラ・グラン・ダール(パリ)

・7月、「草間彌生展 水玉強迫-水玉になった愛」ラ・ヴィレット公園内ラ・グラン・ダール(パリ)

・8月、「草間彌生 ミラード・イヤーズ」ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(ロッテルダム)/オーストラリア現代美術館(09年)/シティ・ギャラリー・ウェリントン(09年)

・9月〜11月、リバプール・ビエンナーレ2008に参加。

 

■2009年

・「わが永遠の魂」シリーズの制作スタート。文化功労者に選出。

・4月、「草間彌生展」ガゴシアン・ギャラリー(ニューヨーク)

・6月、「草間彌生:屋外彫刻」ビクトリア・ミロ・ギャラリー(ロンドン)

・8月、「草間彌生 増殖する部屋」Six(大阪)

・11月、「YAYOI KUSAMA.I WANT TO LIVE FOREVER」現代美術パビリオン(ミラノ)

・12月、「Yayoi Kusama at Fairchild」フェアチャイルド・トロピカル・ボタニック・ガーデン(マイアミ)

 

■2010年

・4月、「草間彌生 十和田でうたう」十和田市現代美術館(青森)

・5月、「第17回 シドニービエンナーレ」

・8月、「あいちトリエンナーレ2010」(名古屋)

 

■2011年

・5月、「草間彌生」国立王妃ソフィア芸術センター(マドリード)/ポンピドゥ・センター(10月)/テート・モダン(12年)/ホイットニー美術館(12年)

・8月、「草間彌生 Kusama's body Festival in 60's」ワタリウム美術館(東京)

・9月、「成都ビエンナーレ」

・11月、「草間彌生:ルック・ナウ、シー・フェーエバー」クイーンズランド・アート・ギャラリー(ブリスベン)

 

■2012年

・1月、「草間彌生 永遠の永遠の永遠」国立国際美術館(大阪)/埼玉県立近代美術館(4月)/松本市美術館(7月)/新潟市美術館(11月)/静岡県立美術館(13年)/大分市美術館(13年)/高知県立美術館(13年)/ 熊本市現代美術館(14年)/秋田市立千秋美術館(14年)/松坂屋美術館(14年、名古屋)。

・2月、「草間彌生 新作展」ビクトリア・ミロ・ギャラリー(ロンドン)

・3月、六本木アートナイト2012(東京)

・5月、「YAYOI KUSAMA-HONG KONG BLOOMS IN MY MIND」サザビーズ香港ギャラリー

・7月、ルイ・ヴィトンとのコラボレーション・アイテム発売。

・9月、「草間彌生 METALLIC」オオタファインアーツ(シンガポール)

・10月、「草間彌生 新作絵画」オオタファインアーツ(東京)

 

■2013年

・4月、「Yayoi Kusama:Paintings & Accumulation Sculptures」ビクトリア・ミロ・ギャラリー(ロンドン)

・5月、「Yayoi Kusama / Dots Obsession-Love Transformed into Dots」ソールラン美術館(クリスチャンサン、ノルウェー)

・6月、「Yayoi Kusama.Obsession Infinita」ラテンアメリカ芸術博物館/ブラジル銀行文化センター(10月)/ブラジル銀行文化センター(14年)/インスティトゥート・トミエ・オオタケ(14年)/ルフィーノ・タマヨ美術館(14年)/Corp Artes財団(15年)

・7月、「KUSAMA YAYOI, A Dream I Dreamed」大邱美術館/上海当代芸術館(12月)/ソウルアーツセンター(14年)/高雄市立美術館(15年)/国立台湾美術館(15年、台中)。

・10月、「Yayoi Kusama:White Infinity Nets」ビクトリア・ミロ・メイフェア(ロンドン)。

 

■2014年

8月、「KUSAMA YAYOI A DREAM IN JEJU」ポンテ・ミュージアム(斉州)

9月、「Yayoi Kusama Pumpkins」ビクトリア・ミロ・ギャラリー(ロンドン)

11月、「草間彌生」オオタファインアーツ(シンガポール)。『アート・ニュースペーパー』紙「世界で最も人気のあるアーティスト」に選出。

 

■2015年

・1月、「草間彌生の版画 前期・後期」オオタファインアーツ(東京)

・5月、「YAYOI KUSAMA GIVE ME LOVE」デビッド・ツヴィルナ・ギャラリー(ニューヨーク)

・6月、「YAYOI KUSAMA:INFINITY THEORY」現代美術ガレージセンター(モスクワ)

・9月、「YAYOI KUSAMA:IN INFINITY」ルイジアナ近代美術館/ヘニーオンスタッドアートセンター/ストックホルム近代美術館/ヘルシンキ市立美術館

 

■2016年

・5月、「Yayoi Kusama Sculptures,Paintings & Miror Rooms」「My Eternal Soulpaintings」ビクトリア・ミロ・ギャラリー(ロンドン)

・6月、「草間彌生 モノクローム」オオタファインアーツ(東京)。『タイム』誌「世界で最も影響力のある100人」に選出。文化勲章受章。

 

■2017年

・2月「草間彌生 わが永遠の魂」国立新美術館(東京)

・2月「Yayoi Kusama Infinity Mirors」ハッシュホーン博物館と彫刻の庭/シアトル美術館(6月)/ブロード美術館(10月)/オンタリオ美術館(18年)/クリーブランド美術館(18年)。

 

■参考資料

・別冊太陽「草間彌生」

Yayoi Kusama - Wikipedia

 

<年譜表作成 参考資料>

・別冊太陽「草間彌生」

・月刊アートコレクターズ2017年2月号「草間彌生」

オオタファインアーツ 草間彌生プロフィール