瀧口修造


瀧口修造(1903年12月7日)は日本の美術評論家、詩人、画家。

 

アンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンとの交流も深く、ヨーロッパの正統シュルレアリスム理論を日本に紹介した人物である。

 

1930年にはアンドレ・ブルトンの「超現実主義と絵画」を翻訳。この本は、日本における本格的なシュルレアリスムの最初の文献である。

 

戦後は評論だけでなく、「実験工房」の設立や展示に積極に関わったり、女性シュルレアリストの岡上淑子の発掘などして若手芸術家を支援した。

瀧口修造と戦後美術 池田達雄+工藤哲巳


池田:瀧口さんは面と向かって怒らないひとでしたね。瀧口修造さんはアプリケーション(好意的な批評)には気が進むのだけど、ディプリエシエーション(批判的な批評)は苦手だというようなことを云われますが、それを額面通りに受け取るのは大きな間違いですね。瀧口さんが好意的なものには常に瀧口さんが嫌いなものが含まれていることに気づかない人間は、よほどの間抜けだと断じて差し支えないと思う。見たところ穏やかに、何でも評価しているように見えるけれども、拒絶しているところは頑として拒絶しているんですね。柔らかくてそして硬い。おっそろしい頑固者ですよ。僕はその頃から瀧口さんは評論家ではなくて詩人だという認識がありましたね。詩が分からない人は、瀧口さんを理解できないと思います。

 

工藤:これは東野から聞いたんだけれども、2人でアンドレ・ブルトンに会いに行ったんですよ。それであいさつしようとしてアンドレ・ブルトンが手を出して近寄ってきたときに、彼が一歩出ると、瀧口さんは半歩下がるんだって。向こうがもう一歩出るともう半歩下がるんだって。その半歩下がるということの中に瀧口さんのしぶとさや用心深さが象徴されているような気がする。ただ、握手したあとで瀧口さんがハラリ涙を浮かべたというんだよ。あの時代に長い間フランス文学からシュルレアリスムを勉強してきた瀧口さんにすれば、本当に会いたい人に会えたから感動して泣いていたわけでしょう。そういう意味ではひじょうに正直な人ですね、しぶといと同時に(笑)

 

池田:瀧口さんてひじょうに透明という感じがありましたね。平凡な表現だけど……。

 

工藤:半透明でどこまで膜をはがしても透明なグレイというのが瀧口さんかな。

 

池田:ぼくが透明というのは、簡単に中が見え過ぎてしまっているという意味じゃないんですよ。瀧口さんはある意味ではそれこそ、むいてもむいても皮ばかりという感じのところもあったと思うんです。正体がわからないところはありますよ。濁りがないというような意味ね。

 

工藤:純潔に近い意味での……

 

池田:透明な感じというのは、それははがゆさでもあるんですよ。というのは、瀧口さんは自分の手を汚すことを潔癖というか、慎重に避けていたところがあるでしょう。

 

工藤:あるね、それは富山の人の性格をバッチリあらわしています。それだけ利口といえば利口、慎重といえば慎重。その代わり人には迷惑をかけないわけだから、はっきりいうと、富山の田舎の人の奥ゆかしさをどこかに持っていたんじゃない。

 

池田:進んで手を汚さないんですよ。

  

池田:それを避けるためにね。

 

工藤:そうやって頑張っているうちにできない年齢になってしまって、じゃ、そのまま透明で行っちゃえというふうなことがいいほうに作用したのかもしれない。